登校中の事だった。 その日は秋晴れの空が高く、気持ちのいい風が吹いていた。 いつもの通学路をぼんやりと歩いていると、風に紛れて騒々しい音が届く。近くの空き地で、数日前から工事をしているようだった。確か地主が死んで、その遺族が土地を手放したのだと田代が言っていた気がする。 何故そんな情報をわざわざ俺の耳に入れるのか。聞けばその土地が「曰く付き」だからだと田代は笑った。どうやら奴の中で、俺はすっかり「そういうもの」が好きなのだと認定されてしまっているらしい。 さてその「曰く」とやらがどんなものなのか。ぶっちゃけ興味がないので聞いていない。俺は「そういうもの」を興味半分で騒ぎ立てるべきではない事を知っている。ポケットの中で俺を主人と呼ぶ小人がやたらと興味を示していたが、俺はそれをあえて無視した。自分から厄介事に首を突っ込みたくはないんだ、俺は。 工事の騒音を耳に件の土地の前を通り過ぎようとしたその時、道の端で蹲っている女が目に入った。 年の頃は三十路前後か、淡い藤色の生地に白い蝶の模様が入った上品な着物を着ている。長い黒髪が綺麗な目を見張るような美人だったが、その顔色が酷く悪い。工事現場に目を向けるが、作業員が女に気づく様子はない。 俺は女の側に寄って、なるべく驚かせないように声をかけた。 「あの、大丈夫っすか?」 「ええ、すみません、少し立ち眩みを起こしてしまって」 俺を見上げた女の顔はまるで紙のようだった。どう見ても大丈夫なようには思えない。今にも倒れてしまいそうだ。 「すぐそこに公園がありますよ。そこで少し休んだらどうっすか?」 「そうね…そうするわ」 「手、貸します」 「え、でも…いいのよ、気にしないで。ひとりで歩けるわ」 「いやいや、無理しないでくださいよ、放っていったら気になって授業どころじゃなくなっちまいます」 女は俺の顔と差し出された手を見比べ、やがて柔らかく微笑んだ。溶けて消えてしまいそうな笑みだった。 「ありがとう」 ほっそりとした手が俺の手を取る。強く掴んだら折れてしまうのではないかと思う程、その感触は頼りなかった。 そういえば、こういうタイプの女の人は今まで周りにいなかった。今は四国で修行中だが同じアパートの住人である秋音ちゃんにまり子さん、先に述べた同級生の田代などは、同じように細い手指でも存在感が違う。彼女たちに感じられるような力強さが、この人からは感じられなかった。 救急車を呼ぼうかとも考えたが女は休んでいれば治ると主張したので尊重する事にした。 おぼつかない足取りで歩く女の杖役に徹しながらたどり着いた公園のベンチ。俺はそこに女を座らせ、近くの自販機でミネラルウォーターを買った。 「どうぞ」 「ごめんなさい、気を遣わせてしまって。でも今持ち合わせがなくて…」 「いいっすよ、困った時はお互い様って奴です。気分が悪い時はちょっと甘えるくらいでいいんすよ」 「…まるで特定の誰かに言っているような言い方ね…」 「……えーっと…」 「あら、ふふ、図星だったかしら、ごめんなさい、意地悪を言いたかったわけじゃないのよ?親切にしてくれてありがとう、本当に嬉しかったの」 冷たいだけのただの水を、女はとてもとても大事そうに受け取った。そんな風に大袈裟に感謝されるような事をした覚えはない。何だか気恥ずかしくなって俺は腕時計に目をやった。 「あ、じゃあ俺はそろそろ行くっす。…もし動けないような気分が続いたら、無理しないで救急車呼んでください。携帯持ってます?」 「…ええ、大丈夫よ」 「お大事に」 「どうもありがとう」 優しい声を背に、俺は公園を出た。 途端にポケットから小人が顔を覗かせる。何の因果か、俺が持つ事になった魔導書の案内人、0のフールだ。 「いやはや、不思議な雰囲気の女性でございましたな」 「そうか?ああ、まあ俺の周りにはいないタイプだったよな」 「いえ、そういう事ではなく…」 「どうした?歯切れ悪いな。何か気になったのか?」 「さて…わたくしにもわかりかねます。ですから不思議、と申しました」 「ふうん…」 俺は肩越しに公園を振り返った。植えられた茂みに隠れされて、女の姿はもう見えなかった。 |