貴方の瞳に映る私は
大地を揺るがす跫音。怒号。悲鳴。刃を交わす耳障りな金属音と、人が、壊れていく音。 「大将、これ以上は」 返り血と泥に塗れた男は部隊を指揮する己の上司を窺った。 白いウォプタルに跨る斧槍の武人はその部下を振り返る事なく、斬り掛って来た敵兵を一突きの元に討ち倒した。 表情は窺い知れない。声だけが応える。 「まだです、まだ我々は務めを果たしてはいない」 「しかし、」 「クロウ、右翼を後退させ左翼を畳みなさい。中央を固めます」 「……了解しやした」 数に任せた敵の勢いは凄まじい。兵らは疲弊し、士気も落ちて来ている。このままでは危険だった。それが分からない男達ではない。 それでも尚退かぬと言うなら、兵はただ、将を信じその命に従うだけだ。 クロウが指示を出すと法螺貝の音が響いた。兵らは機敏に動き、横に開いていた陣が僅かに後退し縦に厚くなる。 その先頭に、白いウォプタルが進み出た。 追撃を掛けて来た敵兵が五、六人、その勢いに圧された。咆哮。一薙ぎ。飛ぶ首が三つ。たじろいだ一瞬。更に薙ぐ。弾き飛ばされた胴が、突出した敵陣に飛び込んだ。 斧槍を高く掲げ、打ち下ろす。 「ここにあるはトゥスクルの侍大将が一、ベナウィ!!腕に覚えのある者だけが参られよ!!」 一瞬の沈黙の後、敵兵らは狂ったように叫び声を上げ突撃する。だがそれは敵将を討ち取らんとする決意の声ではなく、圧倒的な力を持った存在に対する恐怖の悲鳴であった。 士気を挫かれた雑兵などに後れを取る侍大将ではない。 その一振りは平然と二人、三人を薙ぎ倒した。襲い来る穂先を掻い潜り突いた斧槍は顔の上半分を抉り取る。絡め取った槍は強烈な閃光となって持主と大地を貫いた。 鬼神の如き猛撃。 その雄々しい姿に、心奮い立たされぬ武人などいなかった。 「テメエら、大将にだけいい格好させて黙ってられんのか!!だらしねえぞ、声上げろオオ!!」 大音声。陣形を立て直したばかりの軍勢の隅々にまで、それは波及する。応えるように十の声が上がり、それが二十、三十になり、百になり遂には全軍が、一塊りの獣のように凄まじい鬨の声を上げた。ある者は足を踏み鳴らし、ある者は武器を大地に打ち付ける。 「遠慮はいらねえ!目の前の敵を叩っ斬れ!!」 大気を巻き込む程の鳴動。一丸となった軍勢が敵を蹴散らさんと咆哮を上げながら突き進む。法螺貝の音。正面からぶつかった瞬間に後方の陣が左右に大きく広がった。 兵力は圧倒的に不利。だが鼓舞された兵らの勢いは凄まじく、兵力差に臆する事なく果敢に挑みかかる。 だがそれも、やはり一時的なものでしかなかった。 圧倒的な数の不利は容易に覆せるものではない。顔には出さずとも、侍大将は焦燥に汗を滲ませた。 (まだ、なのですか―――――聖上!) 「弓兵―――――」 不思議な事に、その声はあらゆる音を切り裂いて、戦場に響き渡った。 切り立った崖の上、陽を受け高く掲げられた銀色が、眩く光り輝いている。 鉄扇を掲げたトゥスクル国皇、ハクオロ。 彼はその豊かな声で高らかに告げた。 「―――――前へ!!」 戦場を囲む双璧から、無数の鏃。 右の崖には歩兵衆筆頭、侍大将オボロ。そして左の崖にはトゥスクル皇の姿。それぞれが弓兵衆双頭を従え、登る事さえ躊躇わせるような崖の上、堂々たる姿で戦場を見下ろしていた。 法螺貝の音が鳴り響き、敵味方入り乱れていた戦場の中央に、敵勢だけが取り残される。動揺が走るが、遅い。 「放てエエ!!」 声とともに銀色が振り下ろされ、猛雨のような鏃が敵勢を襲った。 多勢には、多勢故の弱点がある。咄嗟の時指揮官の意思が伝わりにくいのが一つだ。状況を把握し難く判断が遅れる。それは致命的な痛手となるのだ。 雨が止む頃には敵勢の三分の一近くが地に倒れ伏していた。 「歩兵、前へ!!」 「応!!全軍、俺に続け!進撃!!」 正常な神経ならば決して降りようとは思わない絶壁を、歩兵衆が雪崩のように駆け降りて来る。それが駄目押しだった。 人が登るとは到底思えない崖上からの奇襲、そして更なる追撃の勢いに圧された軍勢に最早戦意など残ってはいなかった。敵将は撤退を告げ、かつての大軍勢は見る影もなく散り散りに戦場を後にした。 敵将を取り逃した事に歯噛みしつつ、それでもオボロは満足そうに皇を振り仰いだ。 皇が頷く。 力強く、鉄扇が掲げられた。 瞬間的に爆発する、鬨の声。勝利の雄叫びが暫しその戦場を満たした。 「…聖上、」 止まぬ歓声の中、侍大将は陣を掻き分けて主の元に急ぐ。 見れば皇は双子の片割れの制止を振り切って崖を降りている所だった。 「ベナウィ、怪我はないか、クロウは!?」 「それはこちらの台詞です!」 この崖は容易に登れるものでも、降りられるものでもない。ウォプタルでは確実に無理だ。人であっても、重装備などしていては到底叶わないだろう。山歩きを得意とするオボロと、その古参の配下らがいたからこそ立てられた策だ。 それ故奇襲も成功した。そして勝利を収める事も出来た。 だと言うのに最後の最後で何と言う事をしてくれるのだと頭を抱えたくなった。 「しかしお前の部隊には随分な無茶を強いてしまった…」 「犠牲が多く出る事は、囮と時間稼ぎをお引き受けした時から覚悟はしております。その犠牲をどう抑えるかは私の指揮に掛っていました。全て私の責任です。それについて貴方がお心を痛める必要はござません。それより、本当にお怪我はございませんか」 「崖を登っただけだ、私は」 「降りもしましたでしょう」 「揚げ足を取るな。私は今猛省中なんだ」 皇はボロボロになったベナウィの衣装を強く掴んで俯いていた。 外套も、何時もの赤い装束も見る影もない。致命傷を受けていないのが不思議な程の風体だった。 「……聖上、貴方はお優しすぎる。兵は貴方を守る為の盾であり剣です。貴方が望まずとも、皆がそれを望んでおります。その貴方に無茶をされては意味がありません。どうか我らを守るものも守れぬ不甲斐ない臣下にはしないで頂きたい」 皇は口元を自嘲に歪めた。 恐らく、頭では理解していても気持ちが追い付かないのだろう。 この皇は、兵を手駒のように扱う事はあっても、思う事はその生涯において一度としてないだろう。それが彼の短所であり、どうしようもなく愛しい長所でもあるのだ。 「貴方をお守り致します」 ベナウィは藍の外套を握り締める皇の手を、両の掌で包み込んだ。 俯いたままの表情は窺えない。 「守らせて、下さい」 皇は顔を上げた。 何処となく不満そうな、恨めしげな顔だった。 「私も、お前達を守りたいんだよ」 存じております、呟いてベナウィは微笑んだ。 ほんの僅か、瞠目した皇はやがて諦めたように深く嘆息する。知っているなら、いい。そう言う皇はしかし、やはりまだ少し、恨めしそうだった。 その様子にベナウィはまたそっと、笑みを深くする。 強く賢く、勇敢な皇は他に幾らでもいるだろう。 だがこの皇程、優しい人など、きっといない。 一国の最高指導者として下していく冷徹で残忍な決断、それによって被る血と泥を厭いもせず、自らが積み上げた屍の丘の上で、ただ静かに空を仰ぐように。 深い泥濘に埋もれ輝きも温もりも疾うに失った心をそっと拾い上げるように。 彼は決して優しさを失わない。 その温もりが、凍てつく事はない。 まるで、子供が拗ねているような幼い表情。 ベナウィには、それが愛おしくて仕方がなかった。 彼が優しいのは、それだけの優しさを貰っているからなのかも知れない。 だとしたら、彼の見ている世界には、一体どれ程の優しさが満ちているのだろうと考えた。 その世界の片隅に、自分の姿もあるのかと思うと、酷く幸せな気分だった。 |
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詳しい策も考えてはいたのですがそれを入れると急に説明臭くなってしまうので割愛。
とりあえず奇襲の準備が整うまで騎兵が囮になって時間を稼いだよって事だけ伝わればそれで(いい加減)
トゥスクル建国直後あたりで、ハクオロがまだ完全に割り切れてない感じ。
落ちとしてクロウの登場を考えてたんですが、書いてたら落ちにしてはやたら長くなってしまって
その上侍大将殿の立場台無しだったので削りました。
でもちょっと…勿体ない病が発症して…以下反転で、余話です。
ただ本当に侍大将殿、立場ないです。可哀想です。お覚悟の上ご閲覧ください。
―――――余話 歓声に沸く兵を掻き分けて、一際大きな男が顔を見せた。 「大将、こちらでしたかい…っと、総大将?」 「クロウ!」 騎兵衆副隊長は、本来ならまだ崖の上にいる筈の皇の姿を見止め眉を顰めた。一瞬転げ落ちたのかと失礼な事を考えたがそれにしては五体満足で怪我をした様子もないので密かに胸を撫で下ろす。 皇はクロウの心中など露知らず、傍まで寄るとやはりボロボロになった姿を見回して酷く悲しそうな顔をした。 「怪我は」 「掠り傷ばっかりでさ、こんなもん、飯食って寝りゃあ治っちまいやすよ」 「そうか…」 実際さほど大きな傷を受けているわけではなかった。一週間もあればどの傷も完治するだろう。だが皇の顔は冴えなかった。 クロウは苦く笑う。 「アンタがそんな顔してちゃ駄目ですぜ。兵隊はこれが仕事なんです。担ぐ神輿にゃあ何時だって胸張ってて貰いてえんですよ」 籠手を巻いた拳が、とんと皇の胸を叩いた。 「今回俺ら、頑張ったでしょう?」 「…ああ」 少し低い位置にある皇の顔が、クロウを見上げる。 今度は何時ものように、口角を吊り上げて笑って見せた。 「そんなら、よくやったって褒めて下さいや」 皇は暫し、その笑顔を食い入るように見つめた。 やがてひとつ頷くと、おもむろに目の前の男を力強く抱擁したのである。 突然の行動に驚くクロウに構いもせず、肩と言わず背と言わず叩くように掻き抱き、満足して離れて行く頃には漸くといった感じの淡い笑みが浮かんでいた。 「…帰還しよう。ベナウィ、クロウと騎兵衆を纏めてくれ。頼むぞ」 「―――――御意」 「…………」 言い残すと皇はオボロらの元に向かった。 取り残される、騎兵が二人。 「…………」 何故か副隊長は不吉な悪寒に晒されていた。寒い。というより、怖い。戦場ですら抱いた覚えのない感情にいっそ背中を向けて逃げ出したい気分に苛まれている。 クロウの前を通り過ぎ、自軍へ向かうベナウィの背中。 何故か―――非常に白々しいのだが、敢えて何故かと言っておく―――それを、直視する勇気がない。 「………あのー…大将…?」 「何か」 「…不可抗力ッスよね…」 「何の話です」 「………いえ…」 「何をもたもたしているのです。参りますよ」 「…………へぃ」 だったら無自覚に垂れ流している殺気をどうにかしてくれないだろうか、とは言えずにクロウは小さく溜息を吐き、覚悟を決めて上司の背を追うのだった。 |
無自覚です。ええ。
クロウはあけすけにものを語るからストレートに伝わると思うんです。
ベナはもっと周りくどいというか、視野が硬いというか、好意が硬いというか…。
その違い(不憫)
ベナハクで10のお題