お酒はほどほどに







 その日は珍しく、男連中だけの宴であった。
 何時もは隙あらば絡みに来る女性陣を警戒して気を緩めない皇が、明らかに羽目を外している。

「大体ベナウィは真面目過ぎるんだ、政務政務とまるで親の仇のように!息抜きすらさせてくれないとは、私を過労死させたいのか?それほどまでに私に恨みでもあるというのか!」
「………」

 ベロベロである。そして何故かクロウ相手に日々の鬱憤を吐き散らしている。
 不運にも逃れる機会を逃した騎兵衆副隊長は、少し離れた場所で杯を傾けている上司をちらりと見やった。
 何時も以上に眉間に皺が寄っている。恐ろしい。

「総大将…陰口は陰で言うから陰口っていうんですぜ?そこに本人がいるの、わかってやすよね?」
「当たり前だ。私は陰口は好かん。だから聞こえるように言っている」
「………」

 だからと言って、何故、自分に。
 理不尽を嘆いた所で事態が好転する筈もない。

「それならいっその事、本人に面と向かって言やぁいいじゃねえですか」
「どんな応酬があるかわからんじゃないか」
「………」
「………」

 一刀、両断。変な具合に自信たっぷりだ。上司の沈黙が異様に怖い。

「いや分かる、分かるぞ兄者!」

 その上まずい事に皇の義弟が食いついてきた。

「分かってくれるかオボロ!」
「おう!ここの所兄者は忙しくてちっとも構ってくれない、以前はもっと近くにいた筈なのに…俺の兄者なのに!兄者の存在がこんなにも遠い!それもこれもベナウィが兄者を独り占めしてるからだ!」

 こちらもベロベロである。呂律の回っていない問題発言が、実にさりげない。

「何時も澄ました涼しい面をしやがって、何時かその鉄面皮見る影もないくらい歪めてやるからな!」
「おお、それはいいな、私もそれは是非見てみたい」

 意気投合する酔っ払いふたり。そんな彼らを温かく見守る二対の瞳。

「若様も兄者様も」
「お可愛らしい…」
「……おーい、あぶねえぞー…」

 親切な忠告は耳に入らなかったらしい。

「よしオボロ、ちょっとこっちに来い」
「何だ、兄者」

 ノリノリな酔っ払いたちを止める術は最早ない。黙って見守っていると皇が信じがたい行動に出た。
 眉間に深い皺を刻んだままの侍大将の前に義弟を呼び寄せ、のこのこ近付いてきた彼の頭を鷲掴みにしたのだ。

 そして―――、

「いざ!」
「!?」


 その頭を―――正確には顔を侍大将のそれに向けて突き出すという暴挙。


「あああああ若様アアア!!」

 危うく接吻、という事態に双子が揃って驚嘆の声を上げる。
 次の瞬間、ズゴ、と鈍い音。
 間近に迫ったオボロの顔面を侍大将が容赦ない一撃で叩き落とした。

「わ、若様!」
「あああ危なかった…!僕達が必死に守り抜いてきた若様の純潔が汚される所だった…!」
「ありがとうございます、ありがとうございますベナウィ様…!」

 双子にとって重視すべきはあくまで主の純潔であって、脳天にめり込んだ拳は大した問題ではないらしい。
 今まで一言も発さずにいた侍大将は重々しい溜め息を吐き出した。

「人を汚物のように言うのは止めなさい…聖上、どういうおつもりですか」

 口調は穏やか…というより脱力し過ぎで力ない。先から延々と続く己への愚痴不満を強制的に聞かされる侍大将の心情を思えば当然と言えよう。
 だがしかしそんな心情など知ったことかと皇はへらりと笑って見せる。

「いや、驚いた顔が見れるかな、と」

 吐き出された溜め息は近年稀に見る超重量だった。床にめり込みかねない。

「貴方の奇怪極まりない行動の数々には十分驚かされております」
「そうか?その割には顔に出ないよなあ」
「申し訳御座いません」
「ははは、謝られるとこちらが困る」

 何がそんなに楽しいのか、からりと笑った皇は床に撃沈している義弟を押し退け、ずいと身を乗り出した。



「……聖上、―――、」



 それはほんの一瞬の事だった。

 皇が顔を寄せたと思ったら唇に、柔らかいものが触れる。



「何だ、矢張り変わらないなあ…」

 身を離した皇は眉ひとつ動かさない侍大将を不満げに見やった。
 身じろぎもせず、侍大将は淡々と告げる。

「お気が済みましたらばもうお休み下さい。明日の政務に差し支えます」

 皇はつまらなそうに口を噤んだが、酔っているという自覚はあるのだろう、やがて大人しく腰を上げた。

「じゃあ一足先に失礼するかな。ドリィ、グラァ、オボロもちゃんと休ませてやれ」
「は、はい!」
「お休みなさいませ」
「ああ、お休み」

 皇は意外としっかりとした足取りで、オボロを担いだ双子を従えその場を後にした。
 騎兵衆の隊長とその腹心だけが、その場に残される。

「………」
「………」

 クロウはちらりと上司の様子を伺った。

「……大将」

 侍大将は片手で顔を覆っていた。
 その顔が赤いのは、決して見間違いではないだろう。

「…他言は、無用ですよ、クロウ」

 唸るような声に迫力が欠けている事には、気付かないふりをした。

「…自分は何も見てやせんで」

 実際、威厳も何もないこんな上司の姿は見せられたものではないなと思いつつ、とりあえず皇の前でだけは体裁を保った上司を労うべく、クロウはその杯を満たした。














かわいそうな侍大将。と、その腹心。
ある意味オボロは安全圏内。


ベナハクで10のお題