お怒りになりますか
打開策が思い浮かばない。 こんな事はなかなかないだろう。 トゥスクルの侍大将は困惑しきっていた。何時も通りの無表情で。 「なあアルルゥ、そろそろ機嫌を直してくれないか」 目の前には、世にも情けない顔の皇。 「………」 そして己の頭にしっかりとしがみついたままの不機嫌な皇女。 勘弁して頂きたい。 事の発端は三カ月前に遡る。 三カ月前、皇は傍付きであるエヴェンクルガの戦士と極少数の兵を連れ自国の領土を視察する為の旅に出た。 建国当初こそ小さな国だったが、今や国土も兵力も他に類を見ない強大なものとなったトゥスクルだ。視察予定期間を半年も設けた大々的なものだった。で、あるから予定では、まだ半分程しか任を終えていない筈の皇である。 実際は目立った弊害もなく、順調に任を遂行出来ていた為予定より大幅に進んでいたのだが、そこへ来て城からの緊急の文が届いた。 簡潔なものだった。 区切りのいいところで一度戻って欲しいというものだ。理由などは一切ない。 力強くも達筆な文字の並んだ文の差出人の名は、意外にもクロウと読み取れた。 彼の直属の上司である侍大将からなら兎も角、その腹心からというのが気になった。侍大将の手に負えない事が起こったのなら、彼自身で皇との連絡を試みる筈だ。それをしないという事は、彼の身に何かが起きたのだろうか。 皇は急ぎ戻ると返事を出し、言葉の通り大急ぎで帰路についたのである。 果たして。 帰城するとそこに待っていたのは苦笑を浮かべた騎馬衆副隊長と、珍しくも憔悴した様子のその上司、そしてその男の肩、というより頭にしがみついて離れようとしない愛娘だったのだ。 一体何事なのか。 事の次第の説明を請うた皇に、苦笑しきりの副隊長が逆に聞いた。 「総大将、出かける前に小さい姐さんに暫く戻らねえって事、ちゃんと伝えやした?」 皇は首を傾げた。 「伝えた…と、思うが」 「その時何て言いやしたかね」 「ええと確か…」 三カ月前、出発を前に寂しそうな顔をする娘を抱き上げた時の事を思い出す。 ちょっと時間がかかるかもしれないがなるべく早く戻るから、いい子に待っているんだぞ。 その言葉に、娘は渋々頷いたのだ。 副隊長は己の額を掌で覆った。侍大将も眉をしかめている。 「聖上…時間、では誤解してしまいます」 「…もしかしてアルルゥは…」 「へい、どうもその日の内に帰るもんだと思ってたみてぇで」 「あちゃあー…」 今度は皇も一緒になって肩を落とした。 だとしたら、相当寂しい思いをさせてしまったのではないか。甘えたがりの娘を思い、溜め息を吐く。 朝一番で出掛けていった父が夜になっても帰らず、不安に思ったに違いない。何時になったら帰るのだと、問い詰められた侍大将は正直に、暫くお帰りにならないと言ったのだろう。 早く帰ると言ったのに、泣きじゃくる娘の姿を想像するのは容易だった。 「こんな事はこれきりにして頂けますか。私とて、アルルゥ様に泣かれるのは堪えるのです」 「大変だったんですぜ?城中に響くくらいの大声でしたからね」 「クロウ、貴方は早々に逃げ出したではありませんか」 「ぐ…だから総大将呼び戻してあげたじゃないですか」 「聖上の任を投げ出させて、ですね。そんな事は頼んでいません」 「だけどアレから大将、ずっと小さい姐さん乗っけたまんまで、それじゃあ流石に仕事になりやせんでしょう」 「それとこれは話が別です。それに、大分慣れました」 「慣れたって…」 皇と副隊長は揃って侍大将の頭上を見た。 皇の愛娘はしっかりと男の頭を抱き込んで顔を伏せている。表情は伺えない。 「ずっと、こうなのか」 「ずっと、こうっす」 皇は笑うべきか同情すべきか謝るべきかを暫し真剣に考えた。 いかに自重の軽い娘の体といえど、四六時中肩の上に乗せていれば疲れるし肩も凝る。 その上その肩の上の荷物は恨みがましげに呻いたりだだをこねたり時に泣き出したりそれに疲れて眠ったりを繰り返すのだ。たまったものではないだろう。 ただでさえ多忙を極める侍大将だ、気が休まる間もなかったに違いない。 「悪かったな、ベナウィ、迷惑をかけた。アルルゥ、私が悪かったよ、言葉が足りなかった。おいで、今日はずっと一緒にいよう」 優しげな皇の声に侍大将の頭上の娘はぴくりと耳を動かした。どうやら、寝ているわけではないらしい。 伏せた顔を僅かに擡げる。 恨みがましげな半眼が皇をじっと見つめた。 そして…、 「………」 ふい、とそっぽを向いてしまう。 「ア、アルルゥ?!」 「………」 今度はいくら呼び掛けても反応しなくなってしまった。 耳も尻尾も微動だにしない。 侍大将の髪を握り締める力が強くなった事が、男のしかめた眉間から見て取れた。 皇は焦った。 以前にも似たような事があった。あの時でさえ娘の機嫌を直すのは一苦労だったのだ。なのに今回はあの時より更に、重症だ。 何せ三カ月。大人の自分には瞬く間だが子供にとってはそうは行かない。 「猫は三日で飼い主を忘れるって言いやすが、三カ月ほっとかれた仔栗鼠はどうなるんでしょうねぇ…」 「………ッ!!」 ―――と、長い回想だったがそんな感じで、今に至る。 流石に城門であれ以上色々な醜態を晒すわけにはいかず、執務室へと場所を移したがそれで事態が好転するわけでもない。依然親子の関係は侍大将を巻き込んだまま膠着中である。 「アルルゥ、どうしたら許してくれるんだ…」 顔を上げてすらくれない娘に皇が出来るのはただひたすら謝り続ける事だけだった。 しかし、一番の被害者はやはり侍大将である。 このままでは本当に仕事どころではない。 「…アルルゥ様」 静かな声にぴくりと耳が跳ねる。 「聖上にも、悪気があったわけではないのです。そろそろ、許して差し上げては…?」 わざとである筈がないのだと、この三カ月言い続けて来た言葉だ。 「それに、聖上はまたすぐにお出掛けになってしまわれますよ…文句を仰るなら今のうちです」 この言葉の効果は絶大だった。 皇女はがばりと顔を上げ意味を成さない呻き声を発した。 皇の位置からなら、今にも泣き出しそうな娘の顔が拝める事だろう。 「アルルゥ…、」 漸く顔を見せてくれた愛娘に皇は喜色を表す。 娘はその手を大好きな父へと伸ばした。 が。 伸ばされた娘の手に触れようと体を寄せた皇は、ふいに髪を掴まれ体勢を崩す羽目になる。 「―――?!」 「…ッ、聖上!」 体勢を崩した皇は重力に抗えず、娘の方へ―――即ち侍大将の方へと倒れ込む事になった。 思った程の衝撃はなかった。 皇女を肩に乗せたままの侍大将が微妙に体をずらして受け止めてくれたらしい。肩の骨に鼻をぶつけたくらいだ。 「す、すまん」 「…いいえ」 離れようにも、皇女は侍大将の頭越しに皇を捕まえている。どちらの頭も、離すつもりはなさそうだ。 結果として男ふたり、抱き合う形で落ち着いてしまった。 「…ええっと…アルルゥ…?ベナウィは離してやらないか?仕事が…」 「………」 「いだだだだだッ」 「…ッ、」 無言の抗議を受けた。頭皮が引き吊れる上に、苦しい。皇は情けない悲鳴を上げる事しか出来なかった。 一方の侍大将の困惑は、既に臨界点を突破している。 必死で打開策を検討するが思考を巡らせるには胸に凭れる温かい体が邪魔だった。 いっそ皇女を力ずくで引き剥がして皇に押し付け逃げてしまおうか。 半ば本気で考えている所へ。 「は…ははは…すまないなベナウィ、暑苦しいだろうがもう少しだけ付き合ってやってくれるか」 逃げ道を塞がれた。 皇は既に割り切ってしまったのか、この不自由な体勢のまま皇女を宥めている。機嫌を取り戻しかけている皇女と共に纏めて抱き締められる現状に、代わりに泣き出したい侍大将である。 規則正しい鼓動。呼吸。柔らかな体温。皇女が『いい匂い』と称する穏やかな香り。 そのすべてに、平静さを奪われていく。 体が熱い。 鼓動が速度を上げている。 気付かれて、変に思われたりしないだろうか。 皇女は相変わらず二人分の頭を抱えゆらゆらと尾を揺らしている。 「………」 本当に、困っている筈なのに。 もう少しだけ。 皇女の機嫌が直らなければいいと思っている事を知られたら、この人はやはり怒るだろうか。 |
どうしてこれで自覚がないの?っていう侍大将が好きです(不憫)
うたわれ世界で猫と栗鼠に該当する単語がなかったのでそのままです。
ベナハクで10のお題