折られた筆
「ねえおじ様って何ていう部族なの?」 それは執務室で束の間の休息を楽しんでいた時の出来事。 おじ様と呼ばれるのにもすっかり慣れてしまったやるせなくも微笑ましいうららかな午後の事だった。 執務室の主であるハクオロの休憩時間を狙って訪れた娘たち。彼女たちを膝に懐かせながらエルルゥの煎れてくれたお茶を啜っていると突拍子もない事を訊ねられた。 銀色の髪の娘は好奇心に満ちた瞳で見上げてくる。それに釣られるように毛艶のいい茶色の耳をぴんと跳ねさせ、黒髪の娘も面白そうに体を転がした。 「おとーさん、耳に毛、ないから」 「そうそう、でもカミュんとこみたいに羽が生えてるわけでもないし、ずっと気になってたんだぁ」 ああなるほどと得心する。確かにオンカミヤリューでもない自分のこの耳は、他から見れば珍しいものなのかもしれない。だが残念ながら、可愛い娘の問に返すだけの答えを、自分は持たなかった。 「記憶のない状態でも、私はこれが普通だと思っていたから、特に部族と言われても…」 「そっか…じゃあじゃあ、尻尾は?!やっぱり短く切ってるの?そんでやっぱりつるつるなの?」 「つるつ…」 その表現はどうにかならないものか。実際にふさふさとした毛のない尾を想像してしまい(この場合モデルはエルルゥだった。心の中で謝罪しておく)皇は頭を抱えた。何だか、みすぼらしい以前に、物悲しく、加えて卑猥だ。 「おとーさん、尻尾ないよ」 「何でアルちゃんが知ってるの?」 「お姉ちゃん、拾ってきた時、おとーさん裸だった」 娘の思わぬカミングアウトに、茶を吹いた。それは、初耳だ。 「見苦しいものお見せしてしまったようで…」 不可抗力だが、何となくいたたまれない。年頃の娘のトラウマになってなければいいのだが。 「体拭くの、アルルゥも手伝った。だから知ってる。おとーさんのお尻、つるつる」 「そういう意味でつるつるなんだ!」 「アルルゥ…女の子なんだから大きい声でお尻とか言わないでくれ…カミュも食いつかない」 「だってー」 頭が痛くなってきた。どうにかしてこの話題を打ち切ろうと考えるが、年頃の娘たちはますます白熱するばかり。 「背中も?やっぱり羽とか…その名残とかもないんだ?」 「ん、つるつる。でも、骨が羽みたい」 「えー、どれどれ?」 「こ、こらカミュ!弄るなくすぐったい!」 「お尻もつるつる」 「アルルゥウウウ!!」 その時、だった。 バキ、と。 えらく小気味のいい音。 三人は同時に動きを止めた。恐る恐るそちらに目をやると眉間に深い皺を刻んだ皇の腹心が、奇妙な角度に拉げた筆を握り締めていた。 一言も発さずにいたが、実はずっと同じ部屋で黙々と仕事を進めていた侍大将である。 文武ともにすぐれた彼の人の唯ならぬ様子に室内は重く沈黙した。 やがて、静かな声。 「…カミュ殿、アルルゥ様」 「ハ、ハイッ?」 「んうー?」 呼ばれた二人と共につい姿勢を正して(正確にはアルルゥは姿勢を正したのではなく皇の腰に纏わりついていた体を起こしただけなのだが)しまいたくなる雰囲気だった。 「お二人とも、一国の皇女ともあろう方が男性の体を弄るなどはしたないとはお思いにならないのですか。御国の品位を疑われるような真似はお慎み下さい」 「んうー…」 「ご、御免なさい…」 「おわかり頂ければ、それで」 言い終わると侍大将は仕上がった木簡を山と抱えて立ち上がった。 「聖上」 「はィ?!」 見事に声がひっくり返ってしまった。しかし侍大将は構わずに先を続ける。 「一段落つきましたので私も休息をとらせて頂きます」 「あ、ああ、おつかれ…?」 「それでは」 恭しく頭を下げるとそのまま去っていってしまった。仕事机の上に、無残にへし折られた筆を残して。気になって仕方がない。 と、そこへ。 「総大将、失礼しやす」 今し方侍大将が出て行った場所から顔を覗かせたのは件の男の補佐、騎馬衆副隊長だった。何かしら皇に用があって訪れたのだろうが、しきりに己の上司が去っていった方を気にしている。 「うちの大将、どうしたんで?」 「いやなに…」 皇は曖昧に笑った。 銀髪の娘も困ったように頭を掻いている。 「あ、あはは、ちょっと怒らせちゃった」 「…うー…」 「怒…?いやあれは怒ってたってより…」 自分と入れ違いにここを出て行った上司の後ろ姿を思い浮かべて、副隊長は首を捻った。抱えた木簡をごとごと落としながら歩いていたのだ。常ならば考えられない失態である。 しかしそんな事とは知らない皇やその娘たちは怪訝な顔をしている。副隊長は密かに嘆息した。何があったかは知らないが、大方の状況は理解出来た。ならば上司の恥をあえて晒す必要もないだろう。 「………いえ、何でもありやせん。それよりこの前の調練の事で、ちょっといいですかい?」 「あ?あ、ああ、聞こう」 「アルちゃん、おじ様お仕事だからユズっちの所行こうか」 「ん!」 それからはもう何時も通り。 特別な事など何もない、穏やかで平穏な時間が過ぎて行く。 ただひとつ、もう使い物にならない筆だけが寂しげに主の帰りを待っていた。 |
何か色々想像しちゃったらしい侍大将。
ベナハクで10のお題