我が聖上
今日、ひとつの国が、滅んだ。 ケナシコウルペ。 かつては大国と並び称される程に栄えた美しい国だが、近年の腐敗は著しく過去の栄華は見る影もなく堕落し、病んでいた。 この国は、滅ぶべくして滅んだのだ。 非道な独裁を強いていた皇は死んだ。この国は生まれ変わり、新しい歴史を刻んで行く事だろう。 あの男の下で。 それがとても、楽しみだった。 「ベナウィ」 声に振り返ると、たった今まで脳裏に思い、描いていた仮面の男。 ハクオロ――――反軍を率い、ケナシコウルペに引導を渡した男。男は奇妙に表情を歪めてこちらを見ていた。 「私が、自害でもすると思われましたか」 「いや、まあ、その…宴の最中に姿を見なくなったからどうしたのかと…」 どうやら図星らしい。所在なさげに仮面の下の視線を彷徨わせている。 少し、意外だった。敵対している時はもっと堂々と、そして毅然とした態度と冷静な眼差しで物事を見据えるような、そんな男に見えたのだが。 「少し、風に当たりたくなったのです。ご心配なさらずとも一度救われたこの命、そう易々と投げ出したりは致しません」 「そうか…」 安堵したような吐息。それならいいと微笑む男はゆったりとした足取りでこちらに近付いてきた。 「お前はこれからも、この国を支えなくてはならないものな」 「はい、あなたのお力になれるよう、尽力致します」 「え?」 「何か」 すぐ隣に立った男は驚愕に目を見開いて、まじまじとこちらを見つめている。 「私、の?」 「当然です。あなたは皇となる。そのあなたをお支えする事こそ私の、」 「皇だって!!私が!!」 驚いた。腰を抜かさんばかりに驚いている。まさか、そんなつもりはなかったとでも言うのだろうか。ここまで民を率い、導いてきてそれは無責任な話だ。 「あなたは反軍の指導者です。民らはあなたを信じて付いて来た。そしてついにケナシコウルペという呪縛を解き放ったのです。国は潰え、皇も死んだ。ならば新しい国を築き皇となるのはあなたに他なりますまい」 少し、責めるような口調になってしまったのは、僅かばかり苛立ちを感じていたからか。 この男が国の頂点に立てば、何かが変わるかもしれないと思ったのは間違いだったのか。壊すだけ壊し後を省みようともしない短慮で無責任な、所詮はただの蛮族だったのか。 男は何かを思案するように低く唸っている。そしてやがて、力無く首を横に振るのだ。 「駄目だ、私にはやはり出来ない」 苛立ちが募る。 失望感が暗く胸を満たしていく。 これではきっと、何も変わらない。 「今回、私が始めた事で、どれだけの人が死んだと思う」 咄嗟に顔を上げた。 思いの外強い眼差しが、遥か遠方を見つめていた。 「それも、同じ国の人間が殺し合って。圧制から民を解放するなどの大義名分を掲げて、一体どれだけの犠牲を生んだ。私はただ、抑えきれん己の激情に流されただけではないか。どんな理由であれ、殺戮に違いはあるまい。正当化など、どうして出来よう。こんなに、惨い事はない。こんなに、虚しい事はない。こんな男が、皇に相応しいとは、とても思えんのだ」 血反吐を吐くような、独白だった。 ああ、そうか。 冷えていた心に、すとんとそれは落ちてきた。 無責任なのでは、ないのだ。ただ、この男は優しすぎて、悲しい程、優しいから、自身のした事の招いた犠牲に、苛まれているだけなのだ。 それはなんと切なく暖かな事だろう。 「もしも…」 言葉は自然にこぼれ落ちていた。 「もしもその事で、罪の意識を感じているのなら、やはりあなたは皇になるべきです」 「ベナウィ…」 「そうして二度と、このような事態を招く事のない治世をなさればよろしい」 不安気な目が、こちらに向けられる。 知らず、苦笑がこぼれた。 暖かな、気分だった。 「あなたがその為に尽力なさると仰るなら、私は新たな国と、その皇、あなたに、永遠の忠誠を誓いましょう」 この、男になら。 この強く優しい男になら、己が刃と、武士としての魂を、委ねてみたいと思った。 「この命、あなたにお預け致します―――――我が、聖上」 |