御心のままに






「聖上、目安箱にまたキママゥ退治の要望が」

「…またか…」


 侍大将が抱えてきた木簡に、皇は重々しい溜め息を吐き出した。すっかり使い慣れた筈の筆が、妙に重たい。

「ベナウィ」
「は」
「行ってきてくれ」
「民の要望は噂に名高いキママゥ皇のようですが」
「…その呼び名は止めてくれ、本当に凹む」

 耐えきれずに置いた筆は思いの外軽い音を立てそれが一層皇の心をやさぐれさせた。

 民は自分を少し誤解をしているのではないか。
 もしかして皇とは物凄く暇だと思われているのではないか。
 日々人使いの荒い部下にここぞとばかりにこき使われ骨を折り身をやつしている事実を、出来ることなら理解して欲しい。
 たまの休みにごろごろしているのは、あくまで束の間の休息であって何時もそうしているわけではないと言うのに。
 掃除機をかける妻に邪魔だと言われる日曜日のお父さんはこんな心境だろうか。我ながら意味の分からない例が脳裏を過ぎって皇は頭を抱えた。

「私はこの山の木簡のお陰で身動きが取れない。何せこれを全て日暮れまでに仕上げなければならないらしいからな」

 日暮れまでにお願いしますとここに山を築き上げたのは他でもないこの有能な侍大将なのだから、これは心ばかりの嫌みである。しかしその程度の嫌み如き、意に介す部下ではなかった。

「それは本来、昨日までに仕上げて頂く筈だったのものです。それを放り出されて昨日はどちらへ行かれていらしたのか、私には皆目見当もつきませんがさぞかし大切な用事でしたのでしょう。そういえば、今日はアルルゥ様をお見かけ致しませんね。エルルゥ様も、朝議の後からぱったりと。昨日はアルルゥ様を探してあちこち走り回っておいででしたが、今日はどうしたことでしょう。まさかとは思いますがよからぬ事に巻き込まれていらっしゃらなければよろしいのですが」
「わかった、悪かった。私が悪かった」

 やられたらやり返す。侍大将殿の報復は三倍どころか五、六倍くらいにはなって返ってくる。たまったものではない。先日は仕事を抜け出して娘と森へ行っていた、非は自分にあるのが明白だから尚更だ。

「しかし…なあ…」

 皇は再び溜め息を吐くと器用に積み上げられた木簡を見上げた。
 現実問題として、これは一刻も早く片付けた方がいいのだろう。
 だが嘆願書の件も、たかがキママゥと侮る事が出来ないのは身を持って理解している。

「行ってくれないか?お前ももうコツは掴んだだろう?ついでにお前もキママゥ大将とか呼ばれるようになってしまえばいい」
「……………行くのは構いませんが…」

 台詞の前に妙な沈黙があった。生粋の武士としてはやはりその名は嫌なのだろう。確かに、屈辱的な二つ名である。
 しかし優秀な侍大将は眉ひとつ動かさず仮面の皇をじっと見つめた。
 どうやら自分が目を離した隙にまた逃げ出すのではないかと懸念しているらしい。皇は苦く笑った。

「今度はちゃんとやるよ。約束する」
「…なれば私に異存はございません。直ちに向かわせていただきます」
「ああ、ありがとう。健闘を祈る」

 皇の言葉に、侍大将の表情が初めて動いた。

 微かだが、確かに、柔らかく笑み崩れたのだ。






「御心のままに…」
















ベナハクで10のお題