残照





「………」
「………」
「………」
「………」
「……あ、あのー…」
「…何だ」
「…俺はここへ来た時、仕事の邪魔はしないからいさせてくれと言った筈ですが」
「…あぁ、言ったな」
「もしや物凄く邪魔ですか俺」
「いや、そんな事はない」

 うららかな昼下がり。
 穏やかな陽気。
 弥勒の面工房。
 何とも和む組み合わせの中で俺は、ひとり酷く落ち着かない空気を味わっていた。
 何故か、ここの主と互いに正座で、真正面から向き合う形。
 しかも何だかいやに熱心に見つめてくるんですがどういう事でしょう。

 一刻程前、俺は何時もの通りふらふらと村の中を眺めて回り、この工房へ行き着いた。
 天気もよく穏やかな気候で、村全体がほんわりしている中、ここだけが凛と研ぎ澄まされた雰囲気に包まれていて、とても綺麗だと思った。だから立ち寄ってみたのだ。きっと弥勒が仕事をしてるのだと思ったから。
 覗いてみると、弥勒が突き鑿を手にまだ面の形をなしていない木片と睨み合っていたので駄目で元々、と声を掛けてみた。

 邪魔しないから、見ててもいい?

 返事は思いの外、色よいものだった。
 が。

「………あのー…」
「…何だ」
「……何だかとっても居た堪れないんですが…」

 何で俺ってば穴空きそうな程見つめられちゃってんの…。
 しかも正座。もう一刻。そろそろ足が痺れてきたよ。弥勒は平気なのか。

「…仕事…しないんですか…」
「…しているつもりだが」
「はい?」
「…構想中なんだ」
「あぁ…って、何でそれで俺のカンバセ見つめちゃいますか…」

 この兄さんのやる事なす事言う事全部、結構素で恥ずかしいんだけども。
 俺の顔面凝視していい面が出来るとはとても思えないんだけどなぁ。

「…安寧」
「ん?」
「…平穏、興味、期待と、戸惑い。それとほんの少し、恐怖。俺は君を怯えさせているか?」
「………いや、その」

 そう真正面から訊ねられても困ります。
 俺は苦笑しながら髪を掻き回した。

「…顔をね。じっと見られるのって、苦手なんだよ」
「それは、あの目の所為か」
「―――――…」

 …やっぱり。
 やっぱりあの時、弥勒は見ていたのか。あの廓での戦いで俺の目がその色を変えるのを。
 あの後、何も言って来ないからもしかしたら気付かれなかったのかも、と思いもしたが、そうじゃなかったらしい。
 誤魔化しようも無くて、俺は視線を彷徨わせた。

「…すまない、困らせるつもりはなかったのだが…」
「いや…うん、だってさ、キモチワルイだろう」
「…何がだ?」
「目だよ。どうも興奮したり、感情が高ぶった時なんかに色が変わるらしいんだな。だけどあんな色になるのは、普通じゃない。誰だって変だって言う。可笑しいし、不気味だし、不可解だ。化物って言われたって、詮無いし、否定出来ない」

 苦笑しつつ連ねた言葉に、弥勒は少し驚いたようだった。僅かに目を見開き、じっと俺を凝視する。だがやがてその顔に明らかな怒りが滲んできた。
 何で、そこで怒るかな。
 居心地悪くもぞもぞと身動ぎするが、弥勒はお構いなしに真直ぐに俺を見つめてくる。と、いうか、ほぼ睨み付けてくる。

「…誰かが言ったのか」
「…はぃ?」
「誰かが君に、化物と、その目を見て言ったのか」

 俺は首を捻った。
 誰かが、じゃない。そんな台詞は、誰だって言う。それほど俺の目は、『正常』とは違うんだ。
 あの目を見ても俺を怖がらなかったのは、俺を育ててくれたあのヒトたちと、―――今はもう会えない親友だけだ。
 俺の目が異常なのは分かりきった事実で、それを見て人間が俺を『化物』と呼ぶのは当然の心理だ。
 どうしてそんな当たり前の事を確認するように言うのだろうと思った。弥勒が何を怒っているのか、さっぱり分からなかった。

「君は俺に、自分を卑下するのは止せと言った。その君がそういう事を言うのか」
「別に卑下してるわけじゃない。悲観してもいない。俺が異質である事は事実なんだ。俺はそれを理解してるだけだよ」

 物心つく前からそうだったから。今更それが悲しいとか思わないし、罵られた所で怒ったりもしない。俺にとっては『それ』が普通で、正常な事だからだ。
 それを言うと弥勒はあからさまに眉を顰め、今度はとても悲しそうな顔になった。
 俺は慌てて立ち上がろうとした―――のだが、こんなに長い事正座なんて普段はしない所為か、足が痺れて言う事を聞かない。体勢を崩してがくりと崩れ落ちそうになった所を、弥勒の左腕にしっかりと抱きとめられてしまった。わぁん情けないー。
 礼を言おうと首を持ち上げて見上げると、そこにはやっぱり悲しそうな顔があった。


 泣くのかと、思った。


 それだけ悲愴な顔をしていた。
 いや、実際には表情にそれほどの変化なんてないんだろうけど、その分弥勒の目は、何よりも雄弁にものを語る。

「…弥勒?何でそんな顔するんだ、俺の所為か?俺がお前に、そんな顔させてるのか?」
「……綺麗だと…、」
「―――――何?」
「…綺麗だと、思ったんだ……月のそれより鮮烈なあの金色が、とても綺麗だと…」

 そう言って、俺を抱く腕に力を込めるから。
 何だか俺の方が泣きたくなってしまった。

「…ただの異形だ」
「…それは、俺にもわかる。普通ではない事も、承知している。だがそれでも、綺麗だと思った。それは可笑しい事か」
「………」
「…君は、俺の付喪達を綺麗だと言ってくれた。その君が、自分の事をそんな風に言うのは止せ…」

 そう、言って。
 彼の方こそ痛そうな顔をするから。

 思わずその腕にしがみ付いてしまった。
 縋るように、爪を立ててしまった。
 きっと鋭い痛みが走っただろうに。それでも弥勒は、その手を振り払いはしなかった。顔を伏せた俺の頭の上から、宥めるように穏やかに言った。

「…君が、何者であっても。ただ単純に君は君であり、それ以外の何者でもない。俺はその君を好ましく思い、君の目を綺麗だと思った。見られるものならもう一度、見たいと思った。ただそれだけだ。こんな風に…すまない、君の傷を抉るつもりはなかった…」

 俺が、泣いているとでも思ったのだろうか。俺を支えた腕は戸惑ったように背中を撫ぜた。
 その手がとても暖かい。
 あまりにも、あたたかいから。
 くすぐったくて、笑ってしまった。
 不審気に顔を覗き込んでくる弥勒にごめんと言って目を閉じる。不思議な事に、今までどんな事をしたって訪れる気配を見せなかった睡魔が、俺を蝕もうとしていた。
 こんな感覚、久しく忘れていたのに。

「…昔…」
「…ん?」
「昔、弥勒みたいに、この目を、褒めてくれる奴がいた…」
「…そうか」
「今は、もう、いないんだけど…」
「………」
「もういちど、出会い直したら…また、キレイだって言って、くれるかな…」
「……きっと」
「…ありがとう……」

 支離滅裂なこの時の俺の言葉を、理解したわけではないだろうに。
 弥勒は何も言わずにただそっと、俺の背を撫ぜ続けてくれた。

 心地好くて。
 俺はきっと笑ったのだと思う。
 見上げた弥勒の顔が、霞んだ意識の向こうでとても穏やかに微笑んでいたから。
 その事にまたほっと息を吐く。
 それと同時に、俺は意識を手放した―――――。

















「邪魔するぜ弥勒!ここに緋勇が来てな―――――――――あ」






 と、思ったのに。

「…よぉ、小僧っこ」
「な、ななななななななな何やってんだお前らーーーーーーー!!!!」

 突然の来訪者により俺の穏やかな睡眠は未遂に終わってしまった。








 ちょっと不満。
 この後の手合わせは精々遊んでやろうと心に決めた。












傷は深く。傷である事を忘れるほどに深く。