情歌<2>





「さて、では各々の報告を聞こうか」

 夜―――村人たちが寝静まった時分に、それは行われる。
 九角屋敷の座敷に、主である九角天戒、その側近である九桐尚雲、そして鬼道衆主軸である桔梗と風祭、更には緋勇という面子が顔を揃えていた。

「澳継、浅草寺はどうだった」
「えーと…うーん…まぁ、その………普通の寺でした」
「駄目じゃん」
「うるせぇ!桔梗と一緒に吉原なんぞに行っちまったお前に言われたくねえよ!」
「だから、寂しかったんなら素直に言えよ」
「誰がだーーー!!!」
「小僧っこ。旦那が聞きたいのは、目に見える異常じゃないんだ。本当に何も感じなかったのか?」
「へ?!」

 改めて訊ねられ、風祭は大きく目を見開くと次にうーんと唸って必死に記憶を辿り出した。
 そして徐に、そういえば、と顔を上げる。
 曰く、《氣》の量が尋常ではなかったと。とぐろを巻くように渦巻いて、まるで何かを押し留めているようだったと。
 少年のその言葉に、九角は満足そうに頷いた。

「氣を練る古武術を使うお前ならきっと感じ取ってくると思っていた。そのつもりで緋勇も一緒にやったのだが…どうやら一緒には行かなかったらしいな」

 苦笑する鬼の頭目に、緋勇は軽く肩を竦めて見せた。

「悪いね、あの寺前に行った時、門を潜った途端にぶっ倒れそうになってさ」
「そういう事なら仕方があるまい」
「……お前って病弱なのか…?」
「いんや健康体よ。ただ何事にも相性ってもんがあるだろう。…やだ小僧っこったら心配してくれてんの?!可愛い奴だなええおい!」
「だだだ誰がお前の心配なんかするか離せ馬鹿野郎!!」

「若、どう見ます」
「ん―――?」

 ふたりのじゃれ合い――というには風祭が一方的に遊ばれているようだが――を微笑ましげに見ていた九角は苦笑を含んだ側近の声に我に返る。

「やはり、浅草寺を鬼門と見ますか」
「いや……そう言い切ってしまうには情報が少なすぎる…」
「防備自体は寛永寺の方が固いわけですからね…」
「うむ…やはりこの厄介なからくりを仕掛けた張本人から直接聞き出す方が早いか…」

 俺は両方焼いちまう方が早いと思うけどなぁ…と、緋勇の腕の中にすっぽり納まりつつ風祭がぼやいている。因みに大人しくしているわけではなく、恐ろしく巧妙に関節を抑えられている為大人しくせざるを得ないのだ。その顔は実に珍妙に歪んでいた。

「物騒な事お言いでないよ小僧っこ」
「小僧小僧うるせぇな!いい加減離せ!!」

「桔梗―――お前たちの方はどうだった。何か、変わった事はあったか?」
「そうだねぇ…特にこれといった情報は…」

 思案するように視線を彷徨わせた桔梗の表情に、ふと昏いものが過ぎる。

「ただちょいと―――肺を病んだ悲しい娘に会ったくらいかね……」
「あ、そうだ。俺奥山で弥勒って片腕の面師に会いましたよ」
「おや、小僧っこも兄さんに会ったのか」
「何者だ?」

 緋勇は嬉しそうに自分の髪から櫛を外し、床に置いた。
 何だ?と首を傾げる九角に、まあ見ててよと笑った途端、その櫛からにゅうと二本の足が生え、よたよたと立ち上がりやがて軽快に座敷中を跳ね回り始めたのである。
 目を剥く九角と九桐の視線をものともせず、「それ」は上機嫌にてんてんと床を蹴っている。

「付喪神―――か?」
「そう、その兄さんに貰ったんだ。可愛いだろ」
「何だ、あいつだったのか!この気味悪ィもん寄越したのは―――イテ!」

 付喪の蹴りが風祭の後頭部に炸裂する。中々の跳躍力だ。

「その男…付喪遣いなのか…?」
「いや、面師だよ。面以外にも細工物も手掛けるみたいだけど。…ただ……」
「どうした?」
「並んでる面や櫛を昨日見たけど…あれらには、皆魂があった」

 普通、付喪というものは長い年月を経た物にしか現れない怪異だ。しかしあの男の手掛けたものはその法則を丸ごと無視していたのである。
 つまり、あの男が手掛けたものは、完成したその時に既に付喪なのだ。

「でも故意にそうしてるってわけでもなさそうだし、兄さんはただ一心に彫ってただけだし…決して悪いものじゃないよ。寧ろ、とても綺麗なものだ」
「ふ……緋勇はその男が随分気に入ったらしいな」
「あはは、俺ね、笑った顔が優しい奴は無条件で大好きなのよ」
「ははぁ…だから口説いてたんだね」
「…だから姐さん…別に口説いたつもりはないんだってば……。…後は、まあ特に変わった事は無かったよな…ああ、帰り際に頭の悪そうな男達に絡まれた事くらい?」
「着ている物の趣味も悪かったね。でもあんなのは日常茶飯事さ。報告するまでもない」
「そうはいかん。おい旦那、姐さんにもっと自重するように言ってくれ。吉原で絡まれる度にあんな啖呵を聞かされたんじゃ身が持たん」
「あたしの心配してるんじゃないのかい!」
「何て言ったんだ?」
「よく聞いてくれたぞ小僧っこ!」

 以下はその時の桔梗の口上である。

『なんとまぁ、頭の悪そうなのが揃いも揃っていいご身分だねぇ。一丁前に二本差しかい?親の七光りもここまで来ると反吐すら出ないってもんだよ。それが武士の魂だって?ハッ、笑わせんじゃないよ!そんな安っぽい魂ならその辺の鍛冶屋に頼んで鍬にでもして貰うといい、その方がよっぽど世の為になるってもんさ。あんたたちみたいな思い上がりの●●野郎は裸に引ん剥かれて吉原中を引き回されんのがお似合いだよ、それが嫌なら一昨日おいで!二度とあたしらの前にその汚い面晒すんじゃないよ、その時はあんたたちの男根引っこ抜いてその辺の野良犬にくれてやるからね!』

「…………」
「…………」
「…………」
「…………こほん」
「…桔梗お前……」
「何だよ、あたしは何ひとつ間違った事ぁ言っちゃいないよ!」
「怖かった…怖かったよ俺は男としてコレほど肩身の狭い思いをしたのは初めてだ…」
「大袈裟だねぇ…」
「大袈裟なもんかーーーー!!!」

 緋勇のその叫びは他の男陣の心中を最も的確に表したものであった。











 翌日、吉原。

「この吉原って町は…綺麗だろう?浮世絵のように艶やかで、風流。諸行無常の世の中で、確かにここは夢のような世界さ。何故この町がこれ程までに綺麗でいられるかなんて、答えは簡単だよ。綺麗で、新しいものしか認めないからさ。古くなって汚れたものを、さっさと切り捨てちまうからさ。酷い…酷い所だよ…」

 桔梗と緋勇は昨日と同じように連れ立って歩いていた。ふたりの表情は一様に冴えないものではあったが。

「壊しちまいたい…こんな場所…」
「………」
「でもそれは、こんな場所を生み出した徳川幕府に、虐げられた者たちの無念を思い知らせてからさ。吉原に根付く怨念を解き放てば江戸の力はまたひとつ弱くなる」
「………」
「…たーさん…どうして何も言わないんだい…」
「………」
「………」

『桔梗、緋勇を連れて今一度吉原に出向け。お前の言う病んだ女、何がしかの布石になるやもしれぬ』

 鬼の頭はそう言った。
 要するに、利用、しようというのだろう。
 あの、悲しい女を。
 女が抱えている「かもしれない」闇の部分を。
 いや、抱えている。人であるなら誰しもが、その内に闇を抱えているものだ。
 けれど緋勇は「知っている」。

 彼女は、この吉原を憎んでなどいない、復讐など、望んではいないという、「事実」を―――。

「…お葉との約束があるからもとより来るつもりだったけど…何だが気が重いねぇ…」

 桔梗は重い溜息を吐き出した。
 約束の場所に着いても、緋勇は一言も発しない。眉間に深く皺を刻んで、唇を一文字に引き結んでいる。昨日、あれからずっとそうなのだ。何時も穏やかな気配を纏わせた緋勇が、まるで別人のようで。
 ちらりと盗み見ても、その視線に気付いていないわけはない筈なのに、じっと前だけを見据えて黙りこくっている。桔梗はもう一度溜息を吐いた。

「………嫌な予感がする」

 その沈黙を破ったのは、地を這うような声だった。

「え?」
「遅すぎる。ちょっと様子を見てくるから、姐さんはここにいてくれ」
「あ、あたしも行くよ!」
「行き違いになったらどうする。いいから待ってろ。小半時も戻らなかったらその時は来てくれ」

 言うや否や緋勇は駆け出した。背後から桔梗の戸惑ったような声が聞こえたが、構ってはいられなかった。

 駆けて、駆けて、漸く辿り着いた『萩原屋』。
 肩で息をする緋勇の耳に、聞き覚えのある女の悲鳴が聞こえた。

「――――!!」

 乱暴に入り口を潜ると怪訝そうな顔をした番頭に止められる。

「ちょいと兄さん、女を買うなら先ずここで―――」
「お葉に用がある!そのお葉の悲鳴が聞こえた、勝手に上がらせて貰う!」
「お葉なら今日は珍しく客をとってるよ!それにここは妓楼だよ、女の嬌声くらい、いくらでも聞こえるさ!商売の邪魔をするなら出てっとくれ!」
「なるほど、じゃあ酔っ払った男客ってのも珍しくはないだろう!」
「な―――?!」

 鈍い打撃音。
 番頭は自分の身に何が起きたのか気付く間もなく意識を手放した。
 階段を二段飛ばしで駆け上がる。そして緋勇は迷い無く奥から二番目の襖を開け放った。

 その座敷は『以前』、間違いなくお葉と出会った場所。

「お葉――――!!」
「げほ…ッ、ゴホゴホ!た…たつと…さ…、」

 そこに、彼女はいた。
 血を、吐いていた。
 一片の濁りも無い、綺麗な血だった。

「お葉……、お葉…ッ!!」

 力無く倒れ伏す女の体を、昨日と同じように掬い上げ、抱き締める。
 女は、少し笑ったようだった。

「た、つ斗さん…わた、私……唄を…」
「ああ」
「唄を…貴方に…」
「ああ―――ああ!大丈夫、俺は知ってる、君がどんなに綺麗に唄うか、俺は知ってるから!また聞きたい、聞かせてくれるんだろう?何度でも、約束しただろう?!」
「ふふ……あり、がとう…龍斗、さん……うれしい…」
「お葉!!しっかりしろ!!」


「ああ―――あたたかい……」




 緋勇の腕に抱かれ、幸せそうに微笑んだ女は。



 それきり、目を開ける事は無かった。




「―――――ッ、」

 わかっていた。
 彼女は元より、ここで死ぬ運命だった。
 だがわかっていたからと言って、割り切れるものでもない。
 人の死は悲しい。
 とても悲しい。
 第一その「運命」とやらを打ち破るために、自分は型破りの「繰り返し」をしているというのに―――!

「たーさん!」

 振り返ると、息を切らした桔梗がいた。
 何時まで待っても待ち人は来ない、その上嫌な予感ばかりが募って結局来てしまったと口早に説明した桔梗は、畳に散った赤と緋勇に抱かれた女を見て顔色を変える。

「お葉………」

「ふん、役に立たない女だ。酌のひとつもまともに出来んとは。おいそこのお前、さっさとその死体を片付けろ。女はこっちだ、その役立たずの代わりに酌をしろ」

 遊女の代えなど幾らでもいる―――客らしき男達が腹を抱えて笑った。

「……あんたたちは…昨日の…」
「あッ、何処かで見た事あると思ったら昨日のアマ――!」
「何だとォ?!」

 その男達はそう、昨日桔梗に壮絶な啖呵を切られたチンピラ紛いの侍達だった。
 いきり立つ男達を他所に、桔梗はお葉のまだ熱の残る頬をそっと撫でる。

「御免よ、お葉……あたしが昨日、こいつらをちゃんと殺してればよかったね…」

 そしてゆらりと立ち上がると男達に向けて微笑む。
 寒気がする程、美しい笑みだった。

「あたしを怒らせたね…このあたしを…」
「ついでに俺もな。ああ、あんたたち、馬鹿な真似をしてくれたもんだ…」

 腕に抱いた女の体をそっと畳に横たわらせ、緋勇は面倒臭そうに前髪を掻き揚げる。



「―――――!バ、バケモノ…!」






 その瞳が、夜の闇に包まれて尚、金色に輝いていた。






「化物…?違うね、我らは鬼道衆――――ただの鬼さ」


「ひ――――ッッ、」




 ゆらり。
 風も無い屋内で、桔梗の髪が不自然に揺れた。

「お、おおお鬼!鬼だぁあああッッ!!」
「ひぃぃぃいい!」
「逃がしゃしないよ!!」

「ぎゃあああああああ!!!」

 桔梗の妖気が迸る、それよりも早く。
 何かが飛来した。趣味の悪い着物を着た侍の手に深々と突き刺さったそれは―――、

「の、鑿?!」



「大袈裟な男だ…腕が斬り落とされる程の痛みではあるまい」



「あんた―――、」
「…兄さん…」
「また会ったな…こんな形での再会とは、まさか思わなかったが…」

 暗がりから姿を現したのは、隻腕の男―――弥勒であった。
 緋勇が最初に見た時と同じように、厳しい顔をしたその彼が、侍に向かって、問う。

「俺の顔を覚えているか」

 知るかと吐き捨てた侍に、弥勒は冷めた笑みを浮かべた。
 貴様らにとって所詮はその程度の事なのだろう、と。

「その娘が死んだのも、俺のこの腕を斬り落としたのも」

 それもいい、そうして知らぬ間に取り憑かれ蓄積された怨念にやがて食い尽くされるのもお似合いだ。
 哀れみを込めて呟き、そして今度は真直ぐに緋勇を見た。

 金色に輝く双眸に少しだけ目を細め、だが逸らす事はせずに、言う。

「手を貸そう、緋勇。この俺の面の力、存分に使うといい」


 頷いた。

 静かに燃える炎が、憤りと哀しみを孕んでいた。











 呆気ない、それはあまりに呆気ない戦いであった。
 命乞いをする侍達に、弥勒は嘆息し、緋勇は笑みを浮かべる。

「お葉と兄さんに感謝しな。お葉が恨み言の一つでも言ってたら、この兄さんが――…弥勒が、あんたたちを殺そうとしたなら、俺は躊躇いもせずその首をへし折ってた所だ…」

 あんたたちみたいな下衆を殺したら、折角綺麗な弥勒の付喪達が堕ちる。そして弥勒自身も、もう二度とあんなに優しくは笑わなくなってしまうだろう。それは許せないから、そうさせない為なら、俺は笑いながらでも人を殺すよ?

 顔を突き出して、至近距離で囁くように甘い声。
 誰もが見惚れるような笑みを口元にだけ貼り付け、しかし欠片も笑ってはいない今は漆黒の瞳が、尚の事恐ろしかった。

 助けてくれとうわ言のように繰り返す侍の襟首を掴み上げると、格子窓を開けその外に放り投げる。唖然と目を見開く桔梗と弥勒の視線を気にも留めずに緋勇は次々と男達を窓から投げ捨てた。

「な…何やってんだい、たーさん」
「何って、ここはお葉の場所だ。あんな下衆どもに何時までもいさせて堪るか」

 最後の一人を放り投げて、緋勇は子供のように唇を尖らせて言う。

「さ、自分でやっといて何だけど、これで騒ぎがでかくなる筈だ。早いトコずらかろう」
「そ、そうだね…」
「弥勒」
「ん?」
「よかったら、来ないか。俺達と一緒に」

 緋勇の言葉に、そいつはいい案だと桔梗は手を打つ。弥勒は僅かに思案するように顎に手を当てた。

「………俺に、鬼になれと…?」
「そうは言わない。その辺は弥勒の自主性に任せるさ。難しく考えるな、ただ俺がお前を気に入っただけだ」
「…俺に出来るのは、面を彫る事だけだぞ。それでもいいのか」
「大丈夫、あの村は、とても優しい村だ。優しいお前に、きっと合う。きっと気に入る。一緒に行こう」
「……物好きな奴だな、君は…」
「…わ。不思議な奴から物好きな奴に格上げ?格下げ?どっちだと思う姐さん」
「さぁねぇ…」
「で、来る?どうする?」

 訊ねながらも、その顔は期待に満ちている。否という答えを聞くつもりはないようだ。その事に苦笑して、弥勒は僅かに頷いて見せた。

「世話になろう。俺も、君達には興味がある―――」
「やった!」

 じゃあ弥勒の気が変わらない内に早く帰ろう!嬉しげに顔を輝かせた緋勇に、桔梗と弥勒が顔を見合わせて笑う。

「じゃあ行こうか」
「ああ―――」

「あ、待ってくれ」

 緋勇は部屋の奥に取って返し、横たわる女の隣に静かに膝を付いた。僅かに乱れた着物の襟を正し、頬を撫で、血で濡れた口元を丁寧に懐紙で拭ってやる。そして既に冷たくなり始めている額に、小さく口付けをひとつ。

「ごめんな…俺の所為で、二度も…こんなに、辛い思いさせて、ゴメン…」

 囁くような独白は、少し離れた場所にいる二人に、聞こえる事はなかった。





 ひとつの儀式のような緋勇のその姿を見ながら、桔梗は悲しげに女の三味線を撫でた。

 苦しかったろうね。
 悔しかったろうね。
 最後の最期まで物のように扱われて。
 大丈夫、あたしは忘れないよ。
 あんたの思い、あんたの無念―――、

 ほら、あんたが大切にしていたこの子が哭いてる。


 悔しげに唇を噛んだ桔梗は気付いていなかった。
 





 女の顔が、とても安らかである事に―――――。