独鬼





 昔、人の間に生を受けました。
 昔、母を殺し、父を狂わせました。
 昔、多くの愛を知り、多くの孤独を知りました。
 昔、人を、愛おしいと思いました。
 昔、酷い裏切りを受けました。
 昔、多くの人を、殺しました。
 昔、大切だった筈のものさえ傷付けて、殻に閉じこもりました。
 昔、思いました。

 ―――――俺さえ生まれて来なければ。

 それでも今、ここに生きています。
 厚かましくも人を、愛おしいと、思っています。








「緋勇―――――?」

 深夜の散歩の帰り。煙管をふかしながら部屋へ戻る途中、低い声に呼び止められた。
 振り返るとそこには背の高い僧侶――九桐尚雲の姿。

「よう、坊主」

 俺は口元だけで笑って、手を軽く掲げてみせる。
 すると坊主は俺が言うのも何だが、実に飄々とこちらに歩み寄ってきた。

「まだ寝てなかったのか」
「そっちこそ」
「俺は見回りの帰りだ」
「俺はただの散歩」
「こんな時間にか」
「こんな時間だからな」
「あまり不審な行動を取るな」
「おや、信用ないねぇ」
「俺はまだお前を完全に信用したわけじゃない」
「そりゃ結構。それが普通だ」

 この坊主は面白い。
 お人好しの集団の中の良心のようにも思える。
 そう普通は、こんな得体の知れない男を簡単に信用する方が可笑しい。俺はカラカラと笑って、お前の所の御屋形様にも少しは警戒心というものを教えてやってくれと付け足した。
 坊主は辟易したように肩を竦めて、何度も言ってる、と呟く。
 俺はまた笑った。
 ああ本当に、ここの奴らは面白い。

「……なぁ、ひとつ聞きたいのだが」

 坊主が、探るような視線で俺を見た。
 俺は着流しの併せに手を突っ込んだまま、目線だけで先を促す。

「……島原の乱は寛永十四年―――もう二百年以上も昔の話だ。なのに何故お前は、あたかも己の目で見たように語った?」

 あらら。そこを突っ込んでくるか。参ったねぇ…。
 クツクツと咽喉の奥で笑っていると、坊主は不審気に眉を顰める。何か言おうとしたのを制して、俺はぷかりと煙を吐き出した。

「自分の目で見たと言ったら、坊主、どうする?」

 坊主は一瞬、身体に緊張を走らせ、だがやがて再び探るような視線に戻る。

「――――お前、物の怪の類か?」

 ……なるほど、その程度じゃ警戒はしても驚かんか。

「あっはっはっは、まぁ、否定はしないがね、残念ながら俺の二親は列記とした人間だったよ」
「…………まるで、お前は存在そのものが謎掛けだな」

 引っかかる事ばかり言う…と呆れ顔。
 ごめんねぇ、性分なのよ。

「なぁ坊主、鬼は人に化けて、人に紛れるって言うだろう?それは何故だと思う?」

 また謎掛けか?と坊主は苦笑した。

「人を油断させて近付いて、食らう為じゃないのか?」
「それが普通の見解だな。けど、俺はそうじゃないと思う」
「ほう?では何故だ?」

 坊主の片眉が、面白そうに吊り上がった。
 俺は煙を吸い込んで、咽喉の奥にへばり付く苦味を楽しむ。
 細く長く、紫煙を吐き出しながら、笑った。

「鬼はきっと、人が、恋しかったんだ」
「………」
「鬼は、寂しかったんだ」

 多分ね、と付け加えて俺は空を仰いぐ。

「お。さっきまで霞んでたのに、綺麗な月が出てる」
「……緋勇…?」

 振り返ると何だか困ったような、気まずそうな顔をしている坊主と目が合った。
 おや。やっぱりお前もお人好しの一員かい?

「悪い、変な事言ったな。どうやら俺は今相当浮かれてるらしい。忘れてくれ」

 にへら、と笑って手を振れば、坊主の顔が途端に呆れたものになる。
 それでいい。それでいいさ。
 鬼の心なんて、知らなくていいんだ、人間は。

「浮かれてるって……何かあったのか?」
「あはは〜、なくしたものがねぇ、なくしてなかったかも知れないのよ」
「はぁ?おい緋勇、人が理解できる言葉でしゃべれ」
「……俺はお前の中で物の怪決定か」

 いいけど別に。
 まったく面白い奴だよ。
 警戒している割りに、こうやって傍まで寄ってくるし、その態度は面白がってるようにも見える。
 やれやれ斯くも人間とは不可解な生き物だ。
 だからこそ、愛しいのだけど。

「……何を笑ってるんだ、緋勇」
「いやぁ?面白いなぁと思ってぇ」
「は?」
「なぁ坊主、抱き締めてもいい?」
「……………………幾ら俺が坊主でも、そっちの趣味はないぞ」

 その顔があまりにも複雑に歪んでいたので、俺は思わず遠慮なしに笑い出してしまう。安心しろ、俺にもない。と切れ切れに言うのがやっとだった。
 目尻に浮かんできた涙を拭いながらひぃひぃ言ってるとその頭を軽くべしりと叩かれて、気が付いたら肩に担ぎ上げられていた。
 何時だと思ってるんだ近所迷惑だと、どうやらこのまま部屋まで連行されるらしい。旦那といい坊主といい、ヒトの事を全く荷物のように…とも思ったが。笑いが収まらないのでとりあえずは荷物という立場に甘んじる事にした。
 ついでだから、抱き締めてもおこう。
 溜息を吐かれたが、放り出される気配は無い。

 ああ全く、何て面白いんだろう。

 何て愛しいんだろう。

 人間って生き物は。



 だから俺は。
 どれだけ己を呪っても。

 生を諦めきる事が、出来ないんだ。








 大丈夫。
 希望は、ある。
 まだ、潰えてはいない。
 二度と。
 そうとも二度と、繰り返させたりはしないさ。
 護ろう、今度こそ。

 この、イノチに意味があるなら、俺は。




 俺は―――――――。











ヒトリオニ。造語です(無茶苦茶すぎ)
人から生まれた人とは少し違うもの。
交差の後。九桐主ってわけじゃないです。