違和









 甲州街道。

 桜舞い散るその道で、風情に似合わぬ音が生み出される。
 甲高い、金属音。
 男たちの咆哮が混じり、やがてそれは呻き声に変わった。
 
 ひゅん、と、鷹の翼が舞った。刀が空を斬る。しゃらり清涼な音を立ててそれは鞘に収まった。
 背後には、藤の着物の女。
 足元には、三人の侍。
 男は息を乱してもいない。
 見事な手際だった。

「君、ひとつ俺と勝負をしないか?」

 それまで少し離れた所から騒ぎを見物をしていた僧侶が、楽しそうに歩み出た。
 手には、槍。
 何者だと凄む男に、ただの破戒僧だと僧侶は笑う。

「名を、九桐尚雲。君を斃す者の名だ。覚えて置くといい」

 槍を構える僧侶に、男は口の端を吊り上げて確かにとんでもねえ不良坊主だと一人ごちた。

「蓬莱寺京梧。そいつがお前を斃す男の名だぜ、しっかり覚えておけよ」







『そっちの君は?』



『――
緋勇緋勇龍斗だ』








 既視感。
「―――――?」
 僧侶と、男が。
 二人同時に、一点を見つめた。
 男の、左隣。
 そこには誰もいないが、確かに。
 確かに、誰か、いたような気がしたのだ。

 足りない。

 何かが欠けている。

 それが何なのかは分からないが。
 男はそれに眉を顰め、僧侶は違和感に首を捻った。

 あるべき筈のものがそこに無い。

 何故、こんな事を思うのか。
 それすらも分からないというのに。

 ぼんやりとした違和感を抱きながらも、やがてそれを振り切るように。
 ふたり、同時に、地を蹴った。

 型などはまるで無視した出鱈目な剣も。
 流れる水のように無形な槍も。
 しゃらりさらりその影は舞うが如く。

 強い。
 互いに思う。
 力任せでは敗れぬ槍。
 隙を見い出せぬ剣。
 愉快だ。
 これほど心躍る闘いがあっただろうか。

 だが。

 何故だ。

 何か。

 やはり。




 足りない。




 一層高い金属音が響き、僧侶の槍が、男の刀を大きく弾き飛ばしていた。
 驚愕に目を見開いた男の咽喉元に。
 鋭い切先が突き付けられる。

「く…」
「―――菩薩眼の女から目を離さない事だ。鬼はそれを追っている」
「な、に――――?」
「楽しい死合いだった。また会おう」
「――――ッ、てめぇ! 待ちやがれ!!」

 声は、虚しく。
 夕焼けに染まる空に、溶けて消える。

 だが何故か。
 刀を弾かれた屈辱よりも。
 大きく膨れ上がった違和感が。
 男の肩にずしりと重く圧し掛かった。

「―――――――?」








『馬鹿だなあんた、武士の魂弾き飛ばされやがって。腹でも斬るか?』









 既視感。
 軽い眩暈のようなものを覚え額に手を当てる。
 その時僅かに離れた場所で弾かれた刀を拾おうとする女の姿が目に入った。

「触るな!!」
「――――ご、ごめんなさいっ、」
「あ、いや………悪ィ、怒鳴っちまった」

 気まずげに髪を掻き毟り、男はその刀を拾い上げる。
 懐紙で刃の部分を丁寧に拭き、鞘に収めた。

「――――腹ぁ、斬るべき、だよなぁ………普通は」

 刀を見つめてボソリと呟くと、女がぎょっと目を剥いた。
 それに気付いた男は笑って手を振る。

「いや、いや本当に斬ったりしねぇよ。今はまだ、死ねねぇな。何となく、死んじまったら、いけねぇ気がする」

 刀を、弾かれた屈辱よりも。
 大きく膨れ上がった違和感が。
 じくり、じくりと、熱を持つ。

 ぐしゃりと。
 夕焼け色に染まった髪に手を突っ込んで。
 男はに、と笑って見せた。

「行こうぜ美里。早くしねぇと、内藤新宿に着くまでに陽が暮れちまう」
「…そう、ですね。行きましょう」










「蓬莱寺…京梧と、菩薩眼と思しき女…………何だろうな…この違和感は」

 二人が立ち去った街道沿いを、力強く枝を伸ばす木の上からじっと見つめ、僧侶は低く呟いた。

 桜咲き乱れる甲州街道。
 ひとつの出会い。
 そこに生じたのは、なにものか。

 縁か。

 或いは運命(さだめ)か。







 動き始めた輪廻が、軋んで悲鳴を上げている。








九桐、桔梗たちと合流のちょっと前。