外法 <2>





 内藤新宿に降りると、そこは多くの人で賑わっていた。

「たーさん江戸に来た事はあるかい? この内藤新宿が、まぁ、江戸の台所って所かね」

 そういって説明する桔梗の隣で風祭がうっかり踏みそうになった馬糞に悪態をついている。糞に喧嘩を売ってもどうなるものでもあるまいに。
 そんなものがその辺の道端に転がっているくらいに、人の行き来が盛んであるらしい。

「さて、じゃあ手分けして情報集めでもしようかね」

 切り出した桔梗の独断と偏見により、桔梗は一人で、緋勇は風祭とともに行動する事になった。勿論、風祭が難色を示した事は言うまでも無い。

「俺は嫌だぞ!! 何でこいつのお守りなんか!!」
「そうだよな小僧っこ。お前はお守りがしたいんじゃなくてされたいんだよな」
「誰がだ阿呆ーーーーーーッッ!!」
「はっはっは照れるな照れるな」
「照れてねぇ!!! 大体お前やる気あんのか?!!」
「馬鹿言っちゃいけねぇなぁ。こんなにバリバリだぜ?」
「耳穿りながら言うな!! やる気の欠片も見られねぇ!!!」
「はいはいそこまで。坊や、たーさんは病み上がりなんだから、あんまり無茶に絡むんじゃないよ」
「…そんなに言うならお前がこいつと行けよ」
「ふふふ、それとこれとは別だよ。いい機会じゃないか、仲良くおし」

 じゃあね、と手を振って、桔梗はさっさと行ってしまう。ぐぬうぅと変な声で唸りながら風祭は頭を掻き毟った。そしてぐるりと体の向きを変えると男に向かって一言。

「俺の足を引っ張るんじゃねぇぞ!!」

 言い置いて、ズンズンと裏路地に入り込んで行く。



 数刻後。

 大した情報も得られないまま陽が傾きかけていた。
 途中で桔梗と合流するも、それは同じ事だった。

「中々、思い通りに情報なんて得られるもんじゃないねぇ」
「そりゃそうだよな…世の中そんなに都合よく…ん? ありゃあ…」

 風祭が興味を示した場所には人垣が出来ていた。
 行き交う人々も足を止めている。



「狐か狸か或いは鬼の仕業であろうや! 月無き夜にはご用心!」



 人垣の中心にいるのは一人の女だった。
 どうやら瓦版屋らしい。
 この時緋勇の顔がそれは愉快に歪んだのだが、二人はそれに気が付かなかったようだ。



「神隠しの真相や是如何に!! 杏花姉さんの瓦版今ならたったの二十文だよ!!」



「姉さんこっちにくれ!」
「こっちもだ!」
「いてて、押すなよ!」
「はいはい毎度〜」

「鬼だって? おい、俺らも買うか?」

 群がる町人たちを遠巻きに見ていた風祭が動いた。桔梗と緋勇もそれに続く。だが三人が人垣を掻き分けた頃には女の楽しそうな声が売切れ御免を告げていた。

「ああくそう間に合わなかったか!」

 盛大に舌打ちした風祭に、瓦版屋の女はケラケラと笑う。

「御免なさいな、また買いに来てやって頂戴よ!」

 何せこのご時世だから、町人も世間の動きに目を光らせているのだと女は語った。最近では売り出しと同時に完売など珍しくはないという。御免なさいと苦笑する女に桔梗は首を振った。

「残念だけどまぁ、売り切れちまったもんは仕方がないねぇ」
「何か妙な取り合わせに見えるけど…あんたたち鬼に興味があるの?」
「今の江戸に、鬼に興味がないヤツなんていやしないよ姉さん」
「まぁね。世間様の目が鬼に行くからこそ、あたしの瓦版も売れるってもんよ。鬼の噂はあっちこっちにあるからね。あたしとしては記事に事欠かなくて鬼様様よ」
「すげぇ根性ある女だな…」
「ほほほほほ、褒め言葉として頂くわ。あー…と、自己紹介がまだだったわね」

 瓦版の女は、遠野杏花と名乗った。
 直ぐそこの長屋の一室を借りて瓦版を作っているらしい。
 杏花に続いて桔梗も名乗り、一緒に風祭を紹介した。
 そしてもう一人は―――桔梗が何か言うより先に杏花が訝しげな顔で首を傾げる。

「そっちの、さっきからずっと苦虫のような顔してるお兄さんは?」

 せめて苦虫を噛み潰したような顔と言って頂きたい。
 ぐったりと脱力するも、正に複雑怪奇な顔をしていた緋勇は観念したように溜息をひとつ。

「………………緋勇龍斗…ヨロシク…」
「? 何かよくわからないけど宜しく。この町で何か困った事があったら相談に乗るわよ。何かあんたたち面白そうだし。だからあんたたちもネタになりそうな事があったら教えてね」

 あたしがネタを提供して、あんたたちが事件に巻き込まれてくれればもう万々歳。
 物騒極まりない事を口走る杏花に風祭はつくづく逞しい女だぜと半ば真剣に感心して呟いていた。

「そうさせて貰うよ。坊や、たーさん、そろそろ行こうか」

 告げると杏花に対し軽く会釈をしてさっさと踵を返してしまった。
 同意を求めるような口調の割りに、迷う事無く遠ざかって行く。
 慌てた風祭は桔梗の後を追うが、緋勇は一瞬、僅かに困惑したような顔で杏花を見てから振り切るように背を向けた。

 杏花ははて?顎に手を添え、

「どっかで会った事あったけか…?」

 しきりに首を捻ったとか。



「なぁ、情報ならあの女から聞けばいいじゃねぇか。まだ何か知ってそうだったぜ?」

 前を行く桔梗に追いついた風祭は不満げに唇を尖らせている。

「坊や、近道があるのにわざわざ遠回りする手はないってもんだよ?」
「へ?」
「あぁ。さっきの柄の悪そなおっさんたち?」
「何だよソレ」
「小僧っこは注意力散漫ねー。そんなんじゃ大事なもの見逃しちゃうぞー?」
「な、何だよお前なんかあの女に見惚れて惚けてた癖によく言うぜ!!」
「みみ、見惚ッ、みみみみみみみみみみみみみみみみみみ見惚れ?!! なんつー恐ろしい事をなんつー恐ろしい事を言うのなななんつー恐ろしい事言うのよアンタ!!」
「何でオネエ言葉なんだよ」
「五月蠅いよあんたたち、静かにおし」

 桔梗が見やった先には三人の侍がいた。物陰でこそこそと何やら話しているらしい。
 緋勇曰く、「柄の悪そなおっさんたち」である。



「まさか、な…市井の瓦版如きがあそこまで嗅ぎ付けるとは…」
「今はまだ鬼の仕業となっているが…何時ばれるとも知れん。報告に向かった方がいいだろう」
「うむ、では一刻も早く、井上様に――…」



 井上様―――その名前を聞いた途端に緋勇が動いた。
 男達の前にツカツカと無造作に歩み寄り、その内の一人を容赦なく蹴り飛ばしたのである。

「な――――!」
「何だてめえ! 何しやがる!!」

 無様に地面に這い蹲った男がよろよろと立ち上がりながら食って掛かるがそれをものともせずに緋勇はにこりと笑った。
 全開の笑顔の中の、少しも笑っていない眼光が嫌に鋭い。
 男たちはたじろぎ、背中に嫌な汗を感じつつじりりと後ずさる。

「逃がしゃしないよ」
「詳しい話を聞かせて貰おうじゃねぇか」

 何時の間にか。
 男たちの背後は桔梗と風祭によってしっかりと塞がれていた。
 逃場は無い。
 いや、逃がす気など毛頭ない。

「く、くそう! 面倒臭ぇ殺っちまえ!!」

 男達が抜刀する。
 しかし自棄になって振るった刀が通用する相手ではなかった。
 一瞬にして、計三振りの大刀が地面に叩き落される。
 揃いも揃って体勢を崩した男たちに風祭が詰め寄ろうとするが。
 それよりも早く緋勇が進み出た。
 倒れた男の右腕を躊躇いもなく踏みつける。

「ぐ、あぁぁッッ!!」

 冷めた目に、口元にだけ笑みを貼り付けて。
 緋勇は男を見下ろしていた。

「なぁあんた、さっき井上様がどうのって言ってたよなぁ…? それって、井上重久の事? あんたたち奴の狗?」
「し、知らん! そんな奴の事は知らんぞ!」
「姐さん、何か刃物持ってない?」
「…小柄ならあるけど…」
「まぁ、それでいいや。時間掛ければ出来ん事もないでしょ」
「お前何する気だよ」

 桔梗から小柄を受け取った緋勇は、足元で押さえつけたままの男の袖をぐいと捲り上げた。
 風祭の問いに、白々と言い放つ。

「何って…多少正直になって貰う為に腕の一本でも頂こうかなと」
「い、いいい言う! 言うから早まるなぁあ!! そうだ! 俺たちは井上重久様の―――ッッ!」
「ば、馬鹿者!!」

 感情の伺えない表情のまま腕に小柄を当てた緋勇がよほど不気味に思えたのか、押さえつけられた男は恐怖に顔を引き攣らせながら喚いた。

 そこに、第三者の声が介入する。

「そこな者たち、何をしている」

 女の声だった。
 見れば袴を着け、腰に大小を差した侍姿。
 その女の姿を見た途端、緋勇の口から「げ」と押し潰された声が零れた。

「あちゃ〜…今日は日が悪いのか…?」
「何ブツブツ言ってんだ? 知り合いか?」
「…いや…」

 登場した女に気を取られ、すっかり忘れていた男たちがこれを好機と女の許へと逃げ出す。

「貴方は臥龍館の桧神美冬殿!」
「おおこれぞ天の助け! この狼藉者どもに是非貴方の鉄槌を――――――?!!」

 ごきりと、小気味のいい音がした。
 続いて二発。
 縋る男たちを殴り飛ばした女―――桧神美冬は凛とした声で言い放つ。

「町人風情に舐められおって、それでも武士か! 不甲斐ない!」
「く…ッ、」

 往ね、と鋭く吐き捨てると、男たちは這々の体でその場を逃げ出した。追おうとした風祭の前に、女剣士が立ちはだかる。

「その方ら、幕府の息のかかる者を嘲弄するとは…大した度胸だな。よほどの命知らずか、世間知らずか…」
「はッ、どいつもこいつも、所詮は紐繋がれた狗っころじゃねぇか。俺たちが命知らずで世間知らずなら、お前らは身の程知らずの恥知らずだぜ」
「おや坊や上手い事言うねぇ」
「小僧っこにそんな語彙があろうとは……」
「うるせえぞお前ら!」

 カチャリと、鍔が鳴った。
 桧神が低く腰を落とし、抜刀の構えを取っている。
 既に鯉口は切られていた。

「何だよやるのか?」
「ふ…勝負を挑んだのはそちらが先と見受けたが…? それとも、剣対無手では些かこちらが有利に過ぎるか?」
「てめぇ…」

 不敵に笑う桧神が癪に障ったのか、風祭は受けて立つと言わんばかりに体勢を落とす。
 その頭にばふりと何かが被さった。

「な、何だ?!」
「挑発に乗るな小僧っこ。よく考えて、よく見ろ。相手の力量も推し量れないような奴の言葉は軽く交わしなさい」

 乗せられたのは緋勇の掌だった。
 そのままわしゃわしゃと撫でられ風祭が切れている。
 桧神がす、と目を細めた。

「そう言う其方は随分な自信家のようだが…無手で私に勝てる自信がおありか」
「相手の実力を推し量る目には自信あるねぇ。エモノがどうとかじゃない、小僧っこは君より強いよ。ひとつ、いい事を教えてあげよう。君の剣は綺麗過ぎる。刃毀れもなく、曇りも無い。傷付いた事が、一度も無い。故に、見えない事がある。自分の実力よりも先の世界。もっと先、もっと上。そこは、綺麗なままでは行けない所だ。そしてそういう所にこそ、真の強さがある」
「戯言を……ッ!」
「そう思うならやってみればいい。ただし、俺じゃなくてさっきから屋根の上で高みの見物かましてるあの坊主とな」
「な―――ッ?!」

 桧神も、桔梗も風祭も同時に屋根を振り仰ぎ驚愕の声を上げた。何時からそこにいたのか。緋勇の言う通り、槍を担いだ僧侶が面白そうにこちらを伺っていた。

「く、九桐―――!!」

 風祭が僧侶をそう、呼んだ。

「はははははっ、よう風祭、桔梗、久しぶりだな」

 よっと声をかけて、僧侶が屋根を蹴る。地面に降り立った僧侶は改めて油断無く構える桧神を観察した。

「うむ、臥龍館の桧神美冬に相違ないな。聞けば彼の神道無念流の桂と互角に戦ったとか。相手にとって不足は無い」

 実に楽しそうに槍の保護布を取り外し、その切先を桧神に向ける。

「…お坊がそのような代物を持つとは、世も末であるな」
「ははは、俺は破戒僧だ。普通の坊主はこんなもの持たんから安心したまえよ」
「名を聞こうか」
「これは失礼、俺の名は九桐尚雲、龍蔵院流槍術を主に遣う。お見知り置きを、桧神の姫」
「ふん、桧神美冬、いざ参る!!」

 両者が土を蹴る。
 一合。
 二合。
 甲高い金属音が響き。
 三合目に鈍い拳打音が混じった。

「ぐ―――ッ?!」

 桧神の刀を受けて流し、そのまま懐に入り込み拳を叩き込んだようだ。
 どさりと、桧神の体が地に沈む。

「駄目だ、面白くない。君の言った通りだったな」

 僧侶―――九桐尚雲と名乗った男は苦笑を浮かべて緋勇を見た。それまで見学に回っていた桔梗と風祭がどういう事だと詰め寄る。

 曰く、桧神美冬は人を斬った事が無いと。
 それ故に迷いが生じる。
 相手を殺すかもしれないという恐怖が、切先を鈍らせる。

「奇麗事で強くはなれんという事だよ。実力も、また心もな。そういう事を言いたかったんだろう?」
「人を殺す事をいいと言ってるわけじゃないんだ。ただ刀を持つなら覚悟をしなくちゃいけない。殺す覚悟、殺される覚悟、そして背負う覚悟。ちゃんと気付いて、無茶しないようになってくれるといいんだけど…」

 心配そうに倒れた桧神を見やると、可笑しな男だと九桐が笑った。

「さて、面白い事を言うが、その君は誰だ?」
「……緋勇龍斗―――――何か知らん間に仲間に引き込まれてた。宜しく」
「緋勇…? 何処かで聞いたような…」
「たーさん、この男はね、鬼道衆の主軸。天戒様の従弟で、一番の側近さ。強い相手が好きでね、すぐに勝負を挑みたがる」
「そんでもって放浪癖がある」
「まるで俺がろくでなしの無鉄砲のような言い様だな…」

 ぺしりと自分の坊主頭を叩いて九桐は肩を竦める。
 違うとでも言うつもりか。
 風祭が噛み付くとお前ほどじゃないとそれはもう景気よく笑い飛ばされた。

「それはそうと、あんた何処までほっつき歩ってたんだい。色々大変だったんだよ?」

 暴れる風祭の首根っこをわしりと捕まえて、呆れたように桔梗は言うが。それについて九桐は笑うばかりで答えようとはしなかった。

「まぁそれは若の前で話そう。面白い土産話もある」

 話さなければならない事もあるのだと。
 九桐は顔から笑みを消して呟く。

「……何やってんだ? お前」

 風祭の声にふと顔を上げると緋勇が倒れた桧神を抱き起こしている所だった。

「いや…こんな裏路地じゃなくてもっと人に見つけて貰える場所に移しておこうかと…」
「はぁ? ほっとけばいいだろそんな女!」
「酷い子ねアンタ…」
「だから何でオネエ言葉なんだよ」

 そんなやりとりをする二人を笑って見ている桔梗の隣に九桐が立つ。些か呆れたような、だが随分と楽しそうな様子で訊ねた。

「あの二人は何時もあんな調子か?」
「そうだねぇ、まだたーさんが鬼哭村に来て日は浅いけど、少なくとも今のところはあんなだよ」
「緋勇…………か…」
「どうかしたのかい?」
「いや……考えすぎならいいが…あいつは俺たちの『石』になるかもしれんな…」
「石?」

 例えば、川の流れがあるとする。
 穏やかな水面。
 静かな水音。
 その川は小さな石を投げ入れられただけで容易く流れを変えてしまうだろう。



 小川の名前は、鬼哭村。


 小石の名前は――――緋勇、龍斗。



 緋勇と言う名。
 引っかかるのは、記憶か、知識か。

「あ! 気が付きそう! 姐さん、坊主! とんずらすっぞ!」
「あ、こらまて緋勇―――!」
「あぁ、病み上がりの癖に元気な子だよ、まったく…ほら九桐行くよ」
「……そうだな」









 その小石は、我らを何処へ、導くのだろう。











 良い方へ―――?






 それとも―――――……。