因果 <5>





 果たして。
 嫌な予感ほど当たる物だと、人は言う。


 門が破られた。
 見張りの村人が弓に射られ死んだ。
 侵入者は、幕臣と、ごく少数のその部下。

 俺と旦那が駆けつけた時には更に数人の怪我人が出ていた。


「皆、俺の後ろに下がれ」


 騒然となっていたその場にでさえ、その声は凛と響いた。
 村人の顔から、安堵が生まれる。

 旦那を鬼の頭目と見て、侵入者が進み出た。頭の悪そうな男だ。着ているものの趣味も悪い。

「貴様が鬼の頭目か」
「そうだ」

 旦那が答えると侵入者は勝ち誇ったように卑下た笑いを浮かべた。そして鬼の住処を見つけた感動に耽り実際自分の世界に旅立っている。
 頭が、悪い上に弱いらしい。
 哀れな事だ。

 騒ぎに駆けつけてきた桔梗は既に呆れ果てて何も言う気力はないらしく。同じくあれだけ熟睡してたに関わらずよくもまぁ起きれ来られたものだが小僧っこに至っては物凄く面倒臭そうに髪を掻き毟っている。

 旦那は少し思案するように顎に手を当て、侵入者に問う。

「この場所を知っているのはお前たちだけか」
「当然だ!手柄は他の誰にもやらん!」
「兵もそれだけだな」
「情報を集めるのに金が掛かったからな!」

 どうだ、大人しく降参するかと、馬から転げ落ちそうな勢いで踏ん反り返っている。
 本当に、頭が弱いんだな…。
 敵の前でそんな事を白状する馬鹿が他にいるか。いやいない。
 この男は斬首前に自分の首を懇切丁寧に洗っているのだという事にも気付けないでいるらしい。

「桔梗、澳継、ひとりも逃すなよ」

 不敵に笑う旦那に、二人は頷きを返し、退路を塞ぐ。

「ぐぬ…っ、おのれ逆らうか…!!」

 スラリと。
 白刃が闇を照らした。

「緋勇、少し下がって、見ていろ」


 赤い髪が、まるで燃えるように。

 ゆらり、舞う。


「外法って奴を見せてやる」










 実力の差は歴然だった。
 侵入者は、碌に戦に出たことも無いような、戦闘の素人ばかり。くわえて鬼道衆は闇に紛れた戦闘の熟練者だ。
 勝敗は、火を見るより明らかだった。

 俺は言われた通り少し離れた場所から成り行きを見守っていた。勿論、村人たちが流れ矢の犠牲にならないように配慮をして、である。
 旦那や桔梗、小僧たちが一人、また一人と侵入者を倒して行く度に歓声があがる。俺は何処か釈然としない気持ちでそれを見、聞いていた。

 そんな時だ。

「そこまでだ鬼め!!」

 実に耳障りなダミ声が大音声で叫ぶ。侵入者を率いてきた、あの頭の悪い男だ。今まで後方に逃げ隠れ難を逃れていたらしい。
 その男が自信たっぷりに出してきたのは十数人の鉄砲隊であった。
 村人の間から悲鳴が上がる。小僧っこが盛大に舌打ちするのが見えた。桔梗もじりりと身を引く。
 旦那だけが刀を構えたまま侵入者を睨み据えている。

 任せても、大丈夫だろうが、村人に被害が出るかもしれない。
 俺はやれやれと嘆息する。

 丁度いいじゃないか。
 苛々していたんだ。
 あの山鬼では憂さ晴らしにもならなかった。
 ならばここで少々暴れさせて貰おう。

 無造作に、進み出る。

 最初に気付いたのは勿論向かい合っている侵入者どもだった。ガチャリと重々しい金属音を立て、発砲の構えを取る。

「馬鹿てめえ引っ込んでろ!!」

 小僧も気付いて、がなっているが。あいにく言う通りにしてやる義理は無い。

 普通の歩調だった。

 急いでいるでもなく、ゆったりと歩くでもなく。
 ごく普通に、進む。

「な・な…何だ、貴様…!」

 銃口を前に、これほど無作為に近付いてくる相手など今まで見た事も無かったのだろう。侵入者らの顔にはそれぞれ、困惑、疑問、焦燥、或いは恐怖が浮かんでいた。銃を構える手が、小刻みに震える者さえいた。

「な、何をしておる!撃て!!撃ち殺せぇえ!!」

 半狂乱で叫ぶ侵入者。
 十数発の弾丸が、俺に目掛けて撃ち放たれた。


「緋勇!!」


「しゃらくさい!!」


 振り上げる、腕。

 薙ぐ。

 光。

 黄金の、炎。










 轟音。










 燃え上がる炎は、弾丸すら、溶かした。











 巫炎。

「浄化の炎だ。ありがたく喰らいな」

「ぎゃああああああああ!!」

 断末魔。

 煌々と、闇を切り裂く炎は直ぐに、まるでその存在など無かったかのように、静かに宙に溶ける。
 残されたのは、焼け焦げた屍と、かろうじて難を逃れた数人の侵入者。
 どいつもこいつも青い顔をして俺を見ている。

 まるで、「化け物」を見るように。

「た、たた助けてくれ…!何が欲しい?!金か、地位か!!何でもやる!命だけは…ッッ」

 止めをさそうとした俺の肩を、旦那の手が引き止めた。

「無茶をする…」
「何が…」

 旦那は答えず、その刀の切先を侵入者の心の臓へと無造作に突き立てた。耳障りな悲鳴は直ぐに消えた。

 静寂が辺りを染め、戦いが終わる。

 いや、戦いと呼ぶには余りにお粗末な、これは掃除だ。舞い込んで来た埃を打ち払っただけ。こんなのは戦いとは呼ばない。

 しかし歓声はあがる。遠巻きにしていた村人たちが詰め寄ってくる。どの顔にも、笑み。俺にすら、笑い掛けてくる。その顔にはあんな力を見せた俺への畏怖の念さえある。しかし、やはり、笑顔だ。
 それがどうしても引っ掛かっていた。

「何が可笑しい…?」
「…緋勇?」
「人が死んだ。それがそんなに嬉しい事なのか」

 歓声を上げていた村人たちが、水を打ったように静まり返った。

「何言ってんだよ。死んで当然の奴じゃねぇか」

 憮然と、小僧が言う。

「死んで当然って、何だ。そんなの、誰が決めた」
「殺さなきゃこっちが危ねぇんだ!やっぱりお前、幕府の狗か?!」
「殺すなとは言わない。殺さなきゃいけない時もある。今がその時だったのも、わかる。だから俺も殺した。だけど何で笑う?」
「………」
「笑うのか? 痛みを知ってる者が、死者を」



 幻聴を聞いた気がした。

 赤い悪夢が、哂っている。
 累々と横たわる骸を前に、心の底から哂っている。

 天を貫くような、嘲笑が、耳にこびり付いて、離れない。



「所詮は、鬼か」

 俺は吐き捨てると踵を返した。
 胸糞悪い。
 俺の進路の人垣は、まるで波が引けるように割れる。
 どいつもこいつも、人の顔を穴が開くほど眺めやがって。
 ええ胸糞悪い。
 俺は小さく舌を打ち、村人の視線を振り切るように屋敷に向かった。

「緋勇、てめぇ!」
「澳継!」
「何で止めるんですか御屋形様!」
「緋勇の言う通りだ。我らは鬼だが、外道であってはいかん。それでは我らが忌み嫌うものと同じになってしまう」
「だけど!」
「何者も、死者を笑う事は出来んという事だ」
「それが、幕府の腐った連中でもですか。あんな、権力振り翳して、偉そうに踏ん反り返って、都合が悪くなったら惨めな命乞いするような奴でもですか!」
「澳継、人は死ねば、皆骸だ」
「………」
「怪我人は直ぐ手当てを。死者は丁重に葬ってやれ」
「御屋形様!」
「澳継、桔梗、ここを頼む」
「はいな」
「………」












 屋敷に向かう道中、耐え切れなくなって俺は地面にしゃがみ込んだ。

「うー…くそう…」

 全く情けない。腹が立ったのは本当だが、あれは半分八つ当たりだ。

「…いや、でも間違った事は言って無いよな…」
「ああ、お前の言った事は間違いではない」
「そうだよなって、おい。いいのか旦那、あの現場放って来て」

 体ごと振り返る気力が無かったから肩越しに視線だけを現れた人物に移す。
 後の事は桔梗たちに任せて来たと、旦那は苦笑した。

「それより…すまない、彼らの事を、あまり責めないでやってくれないか」
「あ?」
「お前も見た通り、あんなものが今の幕府の現状だ。人の痛みを忘れた者が権力の上に胡坐を掻き、我が物顔で世を掻き乱す。そんなものを、間近で見て来てしまったのだ、彼らは。本当は…本当に、優しい人々なのだ」
「………お前が、そんな顔する必要はない」
「緋勇…」
「わかってるさ」
「………」
「だからお前たちは、戦ってるんだろう」

 優しい彼らに、安息を。
 悲しい彼らに、平穏を。

 与えてやりたい、その思いで。

「旦那は優しいなぁ…」
「お前ほどではない」
「ええ?! そいつぁとんだ買いかぶりだ」

 大仰に驚いた俺に旦那はやっとちょっと笑ってくれた。
 そして俺の隣までやって来て同じようにしゃがみ込む。

「あああ旦那そんな事したら裾が汚れる―――、」

 俺の武器は旦那と違って拳や脚を使う無手の技だから、袴みたいに裾がびらびらしてるものは着れない。小僧も同じだけど動き易い道着を身につけてるもんだからこうやってしゃがみ込んでも不具合はないが旦那はそうはいかん。
 高そうな着物の裾が汚れてしまうのは目に見えてるのに旦那はしゃがみ込んだまま立ち上がろうともせず、じっと俺を観察している。
 …居心地が悪い。

「…何、旦那」

 耐え切れなくなって根を上げれば旦那はゆるりと俺の額に手をやった。
 前髪を掻き揚げて、露になった生傷に一瞬手を止めるが、そのまま額を覆うようにぺたりと掌をくっ付けられた。

「旦那?」
「やはり、お前、熱があるぞ」
「へ?」
「馬鹿者が。だから下がって見ていろと言ったのに、《氣》を使うとは…全く無茶をする奴だ」
「えーっと…」
「顔色も悪い。屋敷に戻って早く休め」
「え? え? ちょ…ッ、ひ…ひいぃぃぃそんなご無体なぁああ!」
「騒ぐな、落とすぞ」
「ああ旦那ってば以外に力持ちさん…じゃなくて降ろしてぇぇぇぇえええ!」
「よくしゃべる病人だ」
「その病人を俵のように担ぎ上げるのは如何なモンでしょう?!」
「何だ、優しく抱き上げて欲しかったのか?」
「ぞおお。いやああああ御免なさいスミマセン自分で歩けますぅぅぅぅうううううううううううう」


 半ば本気で泣きそうになりながらの要求は結局聞き入れて貰える事は無く。情けなくも俺は旦那の肩に担ぎ上げられたまま屋敷にお持ち帰りされてしまいましたとさ。

 うう…俺にだって欠片くらいはある自尊心が…。


 心なしか、風の声が笑っている気がした。
 俺の前途を激励してくれたのか。
 はたまた俺の醜態を馬鹿にしくさりやがったのか。
 後者な気がして仕方が無い。

 くっそう覚えてろよ…。





 やたらと長かった一夜はこうして更けて行った。

 前途多難というか、こんなんで俺これからやっていけるかしらとちょっと不安。