因果 <3> ゆらりゆらりと、浮遊感。 この感覚は知っている。 暖かい、人の背だ。 確かこんな事が、前にもあった。 俺が熱出して、ぶっ倒れて…気が付いたら、あいつの背に負ぶさってた。 ブツブツ文句を言いながら、絶対に降ろそうとしなかった。 高い位置で結い上げた色素の薄い髪が頬に当たって擽ったかった。 でもそれ以上に、俺を心配するあいつの気持ちが擽ったかった。 俺の、一番近くにいた、奴だった。 俺を、怖がらずに、友と呼んでくれたんだ。 「…………悟…、」 俺は夢現に、薄っすらと目を開けた。 そこにはあいつの、茶色い髪があると思い込んでいた。 なのに。 「………………」 目に飛び込んだのは、燃えるような、赤い髪。 「ッぎぃいああああああああああああああああ!!!!!」 「な、何だ?!」 「気が付いたのかい兄さん!」 「おろっ、おろおろおろ降ろしてぇぇぇええええッッッッ!!!」 「わ、わかったから暴れるな!」 どさり。 事実俺が暴れた所為で、降ろすというより落とされた。 と、言うか、落ちた。 くう…災難続きだケツが痛ぇ…。 「す、すまんね…別にあんたに怨みがある訳じゃなくちょっとした心の傷が…」 不思議そうに俺を覗き込む二人に俺は片手をひらひらと振った。 自分の絶叫が頭に響いて、くわんくわんと妙な感覚。 ついでに心の臓は面白い程に早鐘だ。 オカシイ。 可笑しいぞ。 何で俺はこの赤い髪の旦那に背負われていたんだ? いや、その前に。 「何で俺生きてるんだ…?」 絶対殺されると思ってたのに。 「我らは鬼だが、無抵抗の者を殺す趣味は持ち合わせてはおらぬ」 赤い髪の男が言った。 その後を引き継ぐように、桔梗が笑う。 「それでねぇ、どうせ殺せないならあたしらの仲間にしちまおうって魂胆さ」 「…………それはえーっと…所謂…拉致?」 「そうとも言う」 「中々言いえて妙じゃないか」 言いえて妙なのではなく、只単に妙だ。 「だってあんたら鬼道衆だろ?」 「そうだ」 「いいのかそんな簡単に………」 そりゃ、こっちとしては好都合だけど。 こんなに簡単に事が運んでいいのだろうか。 「無論、逃げ出したり、信用を置けぬとこちらが判断した場合には命はないものと思え」 「うわぁ偉そう…参ったなぁ…俺命令とかされるの大嫌いなんだけど…」 「ふ…まぁ、暫くは村で好きにしているがいいさ」 「その後はキリキリ働いて貰うけどね」 はあ…。 どうやら俺の知らないトコロで話は勝手に進んでいたらしい。 ………ええぶっ倒れてた俺がいけないんですわかってます文句は言いません。 「さ、立った立った」 「まだ気分が悪いなら負ぶってやるが…」 「いいいいいいです結構です遠慮します謹んで辞退します」 がばりと跳ね起き、俺は桔梗の陰に隠れるように赤髪の男と距離をとって歩いた。 変な子だねぇと桔梗がぼやいている。 つーか、そこでそんな台詞が出るかねぇ…。 もしかして鬼道衆って案外お人好しの集団なのかしらん。 ……………………………まさかねぇ。 ちっこまい小僧が俺を見つめてくる…。 いや、正確には睨みつけてくる。 桔梗と旦那に連れられて、俺は鬼の住処…鬼哭村(と言うらしい)に来た。 何だか思っていたのと全然違う。 ただ普通の人が集まって出来た、普通の村だ。 事実、入り口で旦那を迎えた時の村人の様子は不思議なくらい好意的で。 慕われているのだと一目で分かる。 はて…俺は首を捻る。 これが鬼だって? そんな俺を見て、桔梗はからころと楽しげに笑った。 驚いたかい?ここが鬼の住処さ。 そう言う桔梗の様子は、何処か誇らしげでさえあった。 その時だ。 何処からとも無く、不機嫌そうな声が降ってきた。 それと同時にちまっこいものも振ってきた。 よく見ればそれは少年である。 「何だい、坊やかい」 「坊やって呼ぶなっつってんだろ!」 一瞬驚いた桔梗だったが、その振ってきたものの正体を悟り、呆れたように坊やと呼んだ。 どうやらそこの樹の上から降ってきたらしい。 そして「坊や」と呼ばれた事に腹を立て地団駄を踏んでいる。 しかし直ぐに俺を睨みつけ、鋭く聞いてきた。 「誰だよ、こいつ」 で、今に至る。 この睨み上げてくる目付きが実に生意気でいっそ清々しいね。 「緋勇龍斗って言うんだよ。新しい仲間さ、仲良くやるんだよ」 桔梗が簡単に俺の紹介を済ませると小僧っこは物凄く不満そうな顔を隠そうともせず、 「こいつが? この間抜けそうなヤツが?」 と言い放ちやがりましたよ。 初対面の相手に言う台詞じゃないねぇ…。 桔梗は言い加えた。 「腕は中々のもんさ。陰鬼を何なく倒したんだからね」 「………………山の氣が弱かったんじゃねぇの?」 ええつくづくいい度胸してるじゃありませんのこの小僧っこは。 俺はこれ以上ないくらいの極上の笑顔を作って見せた。 そぉれ。 喰らいやがれ!!! ドゴォオッッ 「痛ぇえええええ!!何すんだこの野郎!!」 見事な弧を描いて吹っ飛び遊ばされやがりました小僧っこは俺に蹴り上げられた腰を擦りながら噛み付いてくる。 喧嘩売ってんのか?!とがなっているが、心外だ。 喧嘩を売ったのは小僧っこであって、俺ではない。 言う事欠いてこの端整な面を間抜けだと。 俺はいたく傷付いたぞ。 そりゃもうボロボロだ。 「いい度胸じゃねぇか!俺の名は風祭澳継だ!てめえ名を名乗れ!!」 「さっきあたしが言ったじゃないか…」 「物覚えの悪い小僧っこだね」 「坊やだの小僧だのチビだの言うんじゃねぇ!!」 「誰もチビなんて言ってないでしょ」 「見事な墓穴だねぇ坊や」 「うがぁぁぁぁああ!てめぇコラちょっと面貸しやがれ!!」 「姐さんの分まで八つ当たりぃ?残念だけど本日の貸し出しは終了させて頂きました」 「な、何だと?!じゃあいつならいいんだ!!」 「姐さんどうしよう。これ面白い」 「あっはははは!」 尚も喰って掛かろうとする小僧っこの頭を押さえると腕の長さの違いで向こうの攻撃(と思しき地団駄)は空回るばかり。 桔梗は耐えかねたように高らかに笑い出した。 その後ろから、男の笑い声も重なる。 「澳継、その辺にしておけ」 俺は直ぐには振り返らなかった。 飛び跳ねた心の臓が落ち着くのを待って、ゆっくりと視線を巡らせる。 そこには予想通り、赤い髪の旦那がいた。 ようやく村人たちから解放されたらしい。 旦那の出現により、今まで猿のように暴れていた小僧っこが突然大人しくなった。 その顔には不満がありありと出てはいるが。 「御屋形様」と呼ぶこの旦那には弱いようだ。 「これから屋敷に戻る所だ。澳継、お前も一緒に来い」 「ええ?!今日は早く寝るつもりだったのに!」 「残念だったね坊や」 「坊やって呼ぶな!」 ブツブツと文句を言いながらも「御屋形様」の言葉に逆らう気はないらしい。 旦那に続いてひょこひょこと屋敷に向かって行く後姿はまるで犬のように見えた。 桔梗が振り返る。 「さ、こっちだよ。ついといで」 その手招きに肩を竦める事で応え、俺も彼らの後に続く。 何時の間にか。 雨が上がり、月が顔を出していた。 白い、真っ白い月が。 鬼の屋敷を照らし出している。 |